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デジカメ黎明期をけん引したオリンパス 浮いたり沈んだりの25年史荻窪圭のデジカメレビュープラス(1/3 ページ)

» 2021年01月20日 07時00分 公開
[荻窪圭ITmedia]

 2021年1月、OMデジタルソリューションズが本格稼働し、5日にはWebサイトを開設した。

OMデジタルソリューションズのWebサイト

 20年秋に発表されたように、オリンパスの映像部門(カメラと双眼鏡とICレコーダー)が分社化され、国内投資ファンドの日本産業パートナーズ(JIP)が設立したOJホールディングスに譲渡された。まあユーザーから見ればOMデジタルソリューションズになってもカメラの刻印は当面「OLYMPUS」のままで何か変わることはないのであるけれども、OMデジタルソリューションズ発足記念で、ちょっとオリンパスのデジカメの歴史なぞを振り返ってみたい。

 実はデジカメ黎明期、デジタルカメラの普及を引っ張ったメーカーの1つだったが、その後ヒットしたり蹴つまずいたり浮いたり沈んだりでなかなか興味深い。

デジカメ黎明期に存在感を見せたオリンパス

 1995年にカシオが「QV-10」を発売して始まった一般向けデジタルカメラの歴史はKodakの「DC-40」や富士フイルムの「DS-220A」、リコーの「DC-1」など同じ年に登場した先駆者はあったものの、96〜97年に腰を据えて実用的な製品をガンガン出してきたのは富士フイルムとオリンパスだったのである。

 デジカメ黎明期はカシオと富士フイルムとオリンパスが引っ張ったといって過言じゃないくらい。

 主力モデルは単焦点の「C400L」。このレンズバリアが電源スイッチを兼ねる構造は同社のフィルムコンパクトμシリーズの特徴を受け継いだもの。この機構はしばらく続いた。

 さらに上位機として2/3型という大型センサーとズームレンズを搭載した「C-1000/1400L」シリーズがあった。特に1400Lは2/3型で141万画素数という(当時としては)めちゃ高画素のセンサーを搭載し、ズームレンズを持ち、画質はめちゃクッキリしててなおかつ一眼レフだったのだった(写真は後継機のC-1400XL)。

左が「C-400L」(1996年発売)、右がハイエンドのデジタル一眼レフ「C-1400XL」(1998年発売)

 光学ファインダーをのぞいて撮影する、レンズ交換できない一眼レフである。

 ではC-1400Lで撮った写真を1枚どうぞ。当時この高画質は魅力的だった。

サンフランシスコにて。ハイコントラストで当時としては高画素でハイクオリティだった(C-1400Lで1998年に撮影)

 実はレンズ交換できない一眼レフはオリンパスのお家芸だった。1990年代のオリンパスはレンズ交換式一眼レフからほぼ撤退した状態で、代わりにレンズ一体型一眼レフの「L-1」をはじめとするLシリーズを展開したのである。上から見ると「L字」だったのでLシリーズである(たぶん)。

 1999年になると200万画素時代に突入する。最初に200万画素時代を引っ張ったのがオリンパスとニコンだった。

 オリンパスの「C-2000Zoom」とニコンの「COOLPIX 950」。オリンパスはオーソドックスな四角いカメラスタイルで、このシリーズは2003年の「C-5060 WideZoom」まで続いたが、初期ハイエンドスタイルの時代が終わり、終了を迎える。

右が「C-2000Z」(1999年)、左が同シリーズの進化系である「C-5050 ZOOM」(2002年)。3年で500万画素まで増え、質感や拡張性もハイエンドらしくなり、背面モニターはチルト式に進化した

 2000年頃はデジカメを手掛けるメーカーが15社くらいあって、みんなそこに未来を見つけて競っていた時代なのだけど、当時デジカメライターをしてたわたしの感覚ではオリンパスとニコンと富士フイルムがデジカメ界を引っ張ってて、そこに個性派でサイバーなソニーが絡んでたという印象だ。

 その後、キヤノンやパナソニックが本気を出してきて、カメラはアナログからデジタルへ大きく動き出すわけである。

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