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沈黙の巨人、「写研」が動いた “愛のあるユニークで豊かな書体”がわれらの手に届くまでの100年を考える(3/3 ページ)

» 2021年01月21日 09時45分 公開
[菊池美範ITmedia]
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写研抜きの日本語フォント百花繚乱

 今世紀に入ってからはPCによるデザインと電子出版が当たり前のこととなり、デザイナーや出版界からは次第に「写研」の名詞を耳目にすることが少なくなってきた。机にあった定規や鉛筆、ペンとともに立てかけられていた写植見本帳や級数スケールも捨てられていき、写研が2011年にOpenType書体開発の発表をする前まではデザイナーの記憶から忘れ去られつつあるブランドだった。

 2000年代初頭はOpenTypeの普及と日本語フォントの定額制によるモデルが普及し、写植・版下制作会社の多くがプリプレスの一環としてDTPの専門家にシフトした時代でもある。

 写研の写植機経験が長いベテラン技術者にとっては、SK(写研製写植機の独自規格コード)で豊富な文字を自由に打てたのに、PCでは再現困難な場面に突き当たる歯がゆさもあっただろう。それでもPCの画面に向かいつつ、日本の組版文化をメディアの世界に継承していくことになる。当初はマシンやソフトウェアのスペック不足でストレスの多かった文字組版も、Adobeが2001年にリリースしたInDesign日本語版のバージョンアップと普及によって改善していった。

 2010年ごろにはベテランプロフェッショナルからも写研の記憶が薄れ、若手にとっては見たこともない写研ブランドの書体を現場で体験すらできないでいた。そんな時、2011年の国際電子出版EXPOでの発表で写研フォントへの期待が再び高まったのだった。

失われなかった日本語書体

 写研が沈黙してから10年後の2021年に、2024年に迎える100周年記念事業として写研とモリサワの共同宣言。これは何を意味するのだろうか。過去にも両者は共同開発で手を組んだこともあるが、書体の著作権を巡って係争になったこともある。今度もまた袂を分かつのではないか、という懸念を持たれる方もいるだろう。私もその点は少し心配ではあったが、今回についてはこれまでとは意味が異なるように思う。

 写研は市場から渇望されていた書体を数多く持ちながら、その市場を自らの経営方針によって限定的なものにしてしまった。モリサワが海外との提携事業も行い、書体だけではなくデジタルコンテンツのマーケットにも関与する企業となった現在、写研にとっては共同開発という形でモリサワと協力することが、いまのところ最適解だからだ。遅すぎたとは言わないが、写研ブランドとしてこれからを生き残るための臨時列車にどうにか間に合った、というところだろう。

3年後、どんな書体がリリースされるのか

 新しいフォントとして発表から最初のリリースまで3年の歳月を要するということは、OpenType化したフォントを少し手直しするというレベルではないように思う。グリフ数もAdobe-Japan1-3や1-4(2000年に制定されたAdobeの日本語文字コレクション)では3年後にリリースする製品としては物足りない。どんな用途にも汎用的に使えてグリフ数も多く、幅広いユーザーに愛用されるもの――。ではどの書体がその役目を負うのだろう。

 これは多くの方が発売を期待している「石井明朝体」と「石井ゴシック体」のファミリーになる可能性が高いように思う。将来的にはAdobe-Japan1-6以上のグリフ数を実装して、Googleの「Noto Sans」やAdobeの「源ノ明朝」「源ノ角ゴシック」の使い勝手に匹敵する多言語対応フォントとなり、時代の解像度に合った、より美しい改刻がされるのかもしれない。

 欧文フォントの世界では使用頻度の高い書体が常に改良を続けられ、時代のニーズに合ったものへとバージョンアップされてきた。DTP以前の時代に愛用されていた写研の書体は、「Helvetica Now」や「Linotype Univers」「Adobe Garamond Premier Pro」のように、多くの場面で長く使い続けられることになるだろう。

「育手」であった鈴木勉氏

 最後に「スーボ」「スーシャ」といったポップで個性的な書体をデザインし、「ゴナ」や「本蘭明朝体」のファミリーを展開し、macOSの標準書体となったヒラギノ明朝体のベースをつくった鈴木勉氏のことに触れたい。鈴木氏とは生前お目にかかったことがあるが、多くの書体デザイナーを育てた魅力的な人柄と風格を併せ持った方だった。

 鈴木氏は字游工房の創立メンバーである鳥海修氏と片田啓一氏とともに写研から独立して書体を作り続け、1998年に亡くなられた。鈴木氏から経営のバトンを受け取った鳥海氏は片田氏とともに字游工房で数多くの日本語フォントを手掛けている。

 その1998年には写研から藤田重信氏がフォントワークスにデザイナーとして招かれ、筑紫明朝や筑紫ゴシックファミリーを生み出した。藤田氏と鈴木氏の接点は、鳥海氏や片田氏ほどの深い関わりはなかったと以前に語られていたが、鈴木氏がこの世を去られた年にフォントワークスに移られたのは、日本語書体制作の流れがモリサワとフォントワークスの2社が中心となることを示唆していたように思えてならない。

 そういった意味で、写研で活躍していた鈴木氏は多くの書体デザイナーにとっての「育手」であり、今回の共同開発をあちらの世界でうれしく思われているのではないだろうか。鈴木氏の手がけれらた書体はおそらくPCやスマートフォンの画面で復活する。印刷物やサイネージ、映像作品にも。

 「始まりの写植書体」も100年の時代を経て、同じプラットフォームに帰るのである。

※参考文献:『鈴木勉の本』編:『鈴木本』制作委員会発行:字游工房

photo 1999年に刊行された『鈴木勉の本』(記念本のため書店販売はされていません)
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