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Modern PCの礎、PCIはどう生まれ、いかに成立していったか“PC”あるいは“Personal Computer”と呼ばれるもの、その変遷を辿る(2/5 ページ)

» 2021年07月30日 10時30分 公開
[大原雄介ITmedia]

 PCIは、IALで最初に成功したプロジェクトだったそうだ。実はPCIのプロジェクトには、Intelの中興の祖である故アンディー・グローブ氏が強く関わっていた。そもそもなぜPCIのProjectをIntelが始めようとしたか、というと「誰もしなかったから」ということになる。

 グローブ氏によれば、Intelが「新しいBusが必要だ」と判断したのは1989年から1991年の間だった、という。時期的にいえば、IBMがMicroChanelをリリース(1987年)し、Compaqを始めとするいくつかの企業がEISAを制定(1988年)した後である。

 EISAの話は本連載「EISAの出現とISAバスの確立 PC標準化への道」でまとめたが、確かに標準規格の一つではあったものの、PCのアーキテクチャの新たな標準になる、という状況からは遠かった。

 MicroChannelはむしろIBMを、PCのアーキテクチャを定めるというポジションから遠ざける方向に作用したし、VL-Busは広範に利用されたものの、安定性とか互換性を著しく損なうものであった。

 要するにIntelはVL-Busの標準化の過程を横目で見ながら「もうちょいマシなものを用意しないとダメだ」と判断したというわけだ。ただIntelはあくまでプロセッサのベンダーであり、これまでバスの標準化や、その先にあるPCのアーキテクチャの標準化まで踏み込んだ経験は皆無であった。

 この背景にあるのは、この時点でPCのアーキテクチャに関してイニシアチブをとれるベンダーがいなかったことだ。IBM PC/ATが普及するまで、アーキテクチャはIBMがコントロールしていた。ところがPC/AT互換機が出た瞬間に、イニシアチブを取れるメーカーがなくなってしまった。

 Compaqは確かにAT互換機に先鞭をつけた存在だったが、同社はあくまで自社でテクノロジーを囲い込んでいたから、他社がCompaqと同じ技術を使うことはできなかった。その後Phoenix Technologyなどが互換BIOSを、Chips & Technologiesや台湾SiSなどが互換チップセットを提供するようになると、互換の方式そのものも複数出現することになり、どこか一社の方式が広く使われるということにはならなくなった。これは、旧来のアーキテクチャをそのまま維持する分には問題ないが、そこから新しい方式に移るには、いろいろと都合が悪い話であった。

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