――とはいえ、NFTはDRM(デジタル著作権管理)ではない。ブロックチェーンとデータをひも付けて「データの存在証明」はできても、DRMのようにコピーを防止するものではないですよね。
國光氏 おっしゃる通り。NFTはDRMとは違います。NFTはいわば「所有権の証明」ですよね。
ピカソにしてもルノアールにしても、彼らの作品の複製はいくらでも見ることができます。でも、そこには価値がなく、本物に価値がある。
NFTがあっても、著作権を無視してコピーすることはできるんです。その解決策は「NFTの発行元をはっきりさせる」ことです。ドメイン証明書のように、第三者機関が発行して登録し、いつでも参照できるようにする。それがさらにブロックチェーンで分散化するわけですね。
――オブジェクトをチェックすると、NFTによってそれが所有権を持つ本物かどうかが分かる、という感じですか。
國光氏 そうです。これがNFTでの大きなチャレンジであるのは間違いありません。
フィジカルなモノについては、多くの人が「コレクション価値」を感じているのは間違いありません。一方、これまでは「ピュアなデジタルデータ」にコレクション価値があるか、ということには大きな疑問がありました。
しかし、NFTのブームによって、ピュアなデジタルデータにもコレクション価値があるか、ということについて「おそらくイエスではないか」という感じになってきたんですよね。
この辺は、ユーザーの認識がどう変化するか、ということでもあると思うんですよ。
リアルの世界でも「偽ブランド品」ってありますよね。見た目ほぼ一緒なんだけど、偽物だと分かると「カッコ悪い」という感じになる。
そういう認識が出てくると面白いと思うんですよね。バーチャルだとより早くバレますから。
――タップしてタグ確認すればいい、というわけですからね。
國光氏 本物である証明が、リアル以上に簡単になりますよね。目利きがいらない。全てがオンチェーンで分かるわけですから。
「うわ、あの人、コピーしたのを使ってる。ダサい」という感じで。
國光氏 そうなると、先ほども述べたように、将来的なメタバース経済というのはリアルよりも大きくなる可能性もあると思っているんです。
――それはどういうことですか?
國光氏 人生の中での可処分時間・可処分所得というのは、基本的に上限が決まっています。人生の中でどこにお金を使うのか? ということになると、「長く時間を使ってるところに費やす」ということになります。
現実社会で服や靴にお金を使うのは、当然ながら「そこで過ごす時間が長い」からです。でも、バーチャルな世界により深いコミュニティーがあるならば、そちらにお金を使うようになるでしょう。
やはり「アイデンティティーを示すもの」というのは重要。
「不自由なリアルの世界と自由な自分になれるバーチャル、どちらを選びますか?」ということを考えれば、バーチャルな世界でアイデンティティーを示せてその中でお金も稼げるなら、そちらをより重視する人が出てきても不思議はないと思うんです。
私は「近いうちにそうなる」と確信しているんですが、VRを絡めたメタバースの中にMAU(月間ユニークユーザー)が1億、2億というものが増えてきます。そうすると、その空間で生まれる経済規模も増えますよね。その規模だともう1つの国の経済活動と比べてどうか、というレベルになってきますよね。
――なるほど。オープンに生まれる経済価値として一国に匹敵する、となれば、影響力も当然ながら、相応に大きなものになりますね。
國光氏 「あの国は、バーチャルなこの世界に比べて隆盛していくのか?」みたいな比較も成り立ってしまいますよね。そうなるなら、やはりメタバースの中で「独自通貨」のようなものも発行されるようになってくると思います。
個人的には、仮想通貨のようなものはリアルな世界で流通させるために使うよりも、バーチャルな世界での流通に使った方がむしろ素性はいいと思うんですよね。
――確かに。いろいろな軋轢(あつれき)もありますし。
國光氏 リアルな社会での「通貨発行権」と重なるところが出てくると、国への挑戦、のように捉えられる部分は出てきますからね。
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