この辺りの事情を勘案して、APMの様な機能固定の電力管理機構でなく、もっと拡張性の高い汎用の電力管理機構が必要、という話が出てきた。これに向けてIntelとMicrosoftに東芝を加えた3社で1996年に策定されたのがACPI(Advanced Configuration and Power Interface)である(写真6)。
なぜ東芝かといえば、この頃米国のノートPCでは東芝がかなり大きなポジションを占めていたからだ。
1996年10月のNew York Timesの記事によれば、この年の東芝の全世界でのマーケットシェアは前年の2.6%から4.4%に躍進している。「たった4.4%」と言ってはいけない。というのは、このマーケットシェアはデスクトップPCも含めての数字だからで、ノートPCに限ればかなり大きな数字になるからだ。
このACPI 1.0に関するMicrosoftのプレスリリースによれば、“Toshiba continues to be the leading vendor in the U.S. market for portable computers, with 27.4 percent market share based on third-quarter 1996 estimates from International Data Corp. (IDC). "(IDCの1996年第3四半期の推定によれば、東芝はポータブルコンピュータのマーケットで27.4%のシェアを持つリーディングベンダーである)としており、省電力管理の仕様策定に参加するのは全く不思議ではない。
写真7はACPIの基本的な構成であるが、互換性を保つためにBIOS経由のサポートも残されているが、メモリ空間中のACPI Tableや、デバイス側に設けられたACPI Registerを経由して、より細かい状態通知や状態制御が可能になった。またGlobal Power/Device/CPUなど主要なコンポーネントに対して、細かな動作状況の定義や設定が可能になったことで、きめ細かな電力制御が可能になった。
実はこの電力制御、IntelのGeyserville Technologyを生かすためにも必要であった。Geyserville Technologyは最終的にIntel SpeedStepという名前で2001年にMobile Pentium IIIに実装されるが、技術そのものは1999年のIDFで公開された。
1999年に公開されたということは、1996年の時点で何らかの検討というか設計が始まっていたということで、この時点でACPIのお世話になることは規定事項だったと思われる。もっとも、製品として先にACPIに対応したのがTransmetaのCrusoeだったというのは、Intelとしては笑えない話だったとは思うのだが。
ACPIはその後も順調に仕様を改定していくが、今度は仕様が増えすぎた結果として、BIOSに実装するのが難しいという問題が出てきてしまった。
そうでなくてもBIOSは進化するPCの仕様に対応する必要がある。ところが技術的な制約もあって開発が非常に困難になっていた。さらにACPIの改定で仕様が追加になると、もはや従来型BIOSのままでは実装不可能になりつつあった。こうした事情もあって、旧来のBIOSは最終的にUEFIに置き換えられていき、このUEFIの仕様を定めるUEFI ForumがACPIについても仕様策定などを取りまとめることになった。ACPI Version 5.1以降はUEFI ForumがSpecificationを出しており、最新版はVersion 6.4になっている。
BIOSとUEFIの話はまた別に改めてご紹介するが、ACPIそのものはアーキテクチャ非依存になっており、実際ArmのプロセッサもACPIを利用するなど、一般的なものになっている。
最近ではデスクトップPCでもACPIをフルに生かして不要時の電力を削減するのはごく当たり前の話になっているが、これが普及するまでにはAPMから数えて実に20年近くを要したというのは、この手の技術の普及には時間がかかるという1つの良い例かもしれない。
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