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Intelのさらなる“やらかし”と、Intelが主導するPCアーキテクチャの終わり“PC”あるいは“Personal Computer”と呼ばれるもの、その変遷を辿る(3/3 ページ)

» 2021年12月14日 12時15分 公開
[大原雄介ITmedia]
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 さてADT Allianceはこうした新機能を実装したメモリ方式の策定を行うべく活動していったが、その一方でJEDECでもDDR-IIの標準化作業が進んでいた。こちらはStrobelessではない(CAS#/RAS#共に存在する)ものの、Active Terminatorは導入する方向になっていた。

 こうなると、DRAMベンダーとしては2種類の次世代DRAMを開発する羽目になる訳だが、当然無駄に開発コストがかさむだけであり、当然Intelに対してDDR-IIとの一本化を図るようプレッシャーをかけていく。

 DDR-IIが標準メモリ規格である以上、DDR-IIをやらずにADTだけをやるという選択肢はメモリベンダーにはないからだ。

 これを受けてIntelもDDR-IIとADTの一本化に向けてさまざまな工夫を凝らすものの、Active TerminatorだけならDDR-IIで済むし、Strobelessまで入れ込んだらDDR-IIと全く互換性がなくなる。最終的に2001年後半のどこかのタイミングで、IntelはADTの推進を放棄。次世代製品にDDR-IIを採用することを決める。ADT Alliance自体も2002年には消滅することになった

 実はこの動きは、IALの解体とも無関係ではないように筆者には思える。IALは先にも述べたがPCIやUSBを始め、多くのイニシアチブを生み出したが、ADTの失敗はそうした「Intelがイニシアチブを握って新規格を立ち上げる」動きが、もう業界とマッチしなくなってきたことを端的に示す良い例だったといえるのかもしれない。もちろんIntelはこの後もさまざまな新規格を生み出していくが、そのやり方はもう少しソフィストケートされたものになってきていた。

 もちろん例外はあって、2006年にXeon MPという4P以上のサーバ向けに投入したFB-DIMMは、Direct RDRAM並に一方的にIntelが仕様を決めてベンダーに通達する、というやり方を踏襲した。FB-DIMMとは何ぞや、というのは例えばこの辺りを見ていただいた方が早いが、DIMMの上にAMBというメモリバッファーを搭載し、このバッファー同士を高速シリアルで接続することで配線数を減らしながら、大量のメモリを実装できるようにするというものである。

 これによりサーバ向けに要求される大容量のメモリを、無駄にメモリチャンネルを増やすことなく搭載できるというもくろみだったものの、AMBの発熱が結構ばかにならず、またAMB同士がRing Bus形式で接続されることになった結果としてLatencyが猛烈に増え、AMBの仕組みがかつてのDirect RDRAMのMTHに使われた特許を侵害しているとRambusに訴えられるオマケまで付いた。

 最終的にAMBについてはRambusにロイヤリティーを支払うことで利用可能になったが、そうでなくてもAMBの搭載で高価なFB-DIMMの値段がさらに跳ね上がることになった。結局FB-DIMMはDDR2の世代で終了。DDR3世代では独自のMemory HubをIntelが提供し、これに標準的なDDR3 RDIMMを接続するという形態に切り替わった。

 ただこれも不評だったようで、DDR4世代ではそのMemory Hubすらも廃止されている。

 ではIntelはこれに懲りたか? というとあんまり懲りてないようで、今度はMicronと共同でPCMベースの3D XPointという不揮発性メモリを開発、サーバ向けにSCM(Storage Class Memory)として大々的に投入するものの、パートナーのMicronに逃げられるというありさまである。

 さらに、やはりMicronと共同でMCDRAM(Multi-Channel DRAM)という独自の積層メモリを開発するものの、これを搭載する予定だったKinghts Landingというコード名のXeon Phiが開発中止になり、MCDRAMもそのままお蔵入りするといった具合に、とにかくメモリに関しては手を出しては痛い目にあって撤退する、を繰り返しているともいえる。

 話を戻すと、ちょっと上で書いたように、2001年にIALは解体された。

 IALで開発されていたさまざまな技術はそれぞれ分割されて別々の事業部に移され、担当者もまた社内に散ることになった。そしてIALとは全く異なる、長期的な技術開発に力点をおいたIntel Labsが設立されることになる。

 このIALの解体とIntel Labsの設立を指揮したのは現CEOのパット・ゲルシンガー氏である。このIALの解体は、Intel主導によるPCアーキテクチャの確立という時代が終わったことを象徴する出来事だと思うし、恐らくそのIAL解体を加速した理由の1つにはADTの失敗があった、と筆者は考える。

photo Intelのパット・ゲルシンガーCEO
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