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PC互換機はIntelだけではない ジョブズのいないAppleが進めたPRePとCHRP“PC”あるいは“Personal Computer”と呼ばれるもの、その変遷を辿る(1/4 ページ)

» 2021年10月30日 08時00分 公開
[大原雄介ITmedia]

 昔ながらのIBM PC、PC/AT互換機からDOS/Vマシン、さらにはArmベースのWindows PC、M1 Mac、そしてラズパイまでがPCと呼ばれている昨今。その源流からたどっていく連載。第12回のトピックは、AppleとPCの関係について。古くからのMacユーザーしか知らないであろう、PRePとCHRPについて解説する。


 ここでちょっとメインストリームから外れた話をする。それはPRePだ。昔からのMacintosh(あえてMacとは言わない)のユーザーは記憶に残っているかもしれないが、その昔にApple Computer(これもAppleとはあえて言わない)は互換機路線を模索した時期があった。その時期の落とし子がPRePである。

 PRePとはPowerPC Reference Platformの略であり、IBMが1994年に標準化したものだ(写真1)。

photo 写真1:PReP Specificationの表紙。これは1995年にリリースされたVersion 1.1である。ちなみにSpecificationその他の資料は、現在もIBMから入手できる。ただし全部PS(PostScript)なので注意

 これはIBMがPowerPCの拡販のために必要なものであったが、同時にApple Computerの互換機路線の確立のためにも必要なものであった。

 この互換機路線、Apple ComputerのCEOとしてマイケル・スピンドラー氏が1993年10月に就任した辺りから本格的に始まる。もともとスピンドラー氏は1988年にApple Europeの社長を務めており、1990年には本社COOに昇格。そして1991年のAIM alliance(Apple、IBM、Motorolaの3社連合)の立役者ともいわれている。Power Macintoshが成立した「政治的な」素地を作った人だ。

 そのスピンドラー氏がCEOに昇格した時期というのは、ちょうど同社が経営的に低迷していた時期でもあった。そもそもApple Computerはスピンドラー氏の前任者であるジョン・スカリー氏がCEOをしていた1985年辺り(≒スティーブ・ジョブズ氏追放直後)に、一度Macintosh OSのライセンスの可能性を本格的に検討している。ただこの時には社内の反対も多く(その筆頭が、のちに同社を離脱してBeを設立する、当時CTOだったジャン=ルイ・ガセー氏である)、それもあってかライセンス路線はいったん放棄。スカリー氏はその後Newtonに傾倒していく。

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