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iPodは「Goodbye, MD」し、世界を変えて、Goodbyeした小寺信良のIT大作戦(1/4 ページ)

» 2022年05月26日 15時46分 公開
[小寺信良ITmedia]

 米Appleが現地時間の5月10日、iPod touchの販売を、在庫がなくなり次第終了すると発表した。日本のApple Storeでも、「在庫が無くなり次第終了」という表示が見える。

photo iPod touch(第7世代)はまだ購入できるが「在庫がなくなり次第終了します」と表示されている

 もともとiPodは音楽再生用デバイスとして登場したが、2019年に発売された第7世代iPod touchはA10 Fusionチップを搭載し、カメラも付いている。App Storeのアプリもほとんどが問題なく動く、言わばキャリア通信ができない低価格iPhoneである。

 実際iPod touchを飲食店のオーダーシステムの一部として利用しているケースもあり、この販売終了で数年後にはシステムの入れ替えが必須となってしまったところもありそうだ。

 筆者ももちろん歴代のiPodを使ってきたが、iPhoneをはじめとするスマートフォンのストレージ容量が拡大するにつれて、次第に使わなくなっていった。逆に今回の発表で、「まだ売ってたのか」と思った方も多いのではないだろうか。

 第7世代iPod touchは現存する最後のiPodであり、これが販売終了となることで、およそ20年におよぶiPodの歴史に幕が下りることとなる。だがiPodが社会に与えた影響は、小さくなかった。今回は、日本の社会におけるiPodの位置づけについてまとめてみたい。

大容量MP3プレーヤーとして

 MP3という技術は1995年頃から徐々に世の中に浸透していき、データ量が小さいのにちゃんと鑑賞に堪えうる音質だということで、主にパソコン内での音楽再生で利用されていった。1997年ごろだったか、実家に帰省した折、ノートパソコンに収録したMP3で音楽再生しながら原稿を書こうとしたら、再生が途切れ途切れになって実用にならなかったのを覚えている。当時のノートパソコンのCPU(Pentium 133MHz)程度では、まだMP3のデコードは負荷が高かったのだ。

 したがって、単体でMP3が再生できるデバイスの登場に期待が高まった。世界最初の携帯型MP3プレーヤー「mpman」が日本で入手可能になったのは、1998年のことである。ネーミングからも、当時携帯音楽プレーヤーの代名詞であったソニー「Walkman」を連想させる。「ナントカman」を付ければすなわちポータブルであるというコンセンサスが取れていた時代、とも言える。

 当時の日本は、ポータブルプレーヤーではMDが人気だった。一方MP3は非合法な音楽交換に使われ始めたこともあり、アンダーグラウンドな見方をされていた。ただパソコンユーザーの多くは、自分で買った大量のCDを1時間ごとに入れ替えるのは面倒ということで、パソコンにリッピングしてなんらかのプレーヤーで聞くといった方法に切り替えていった。2000年直前は、CD-Rドライブの台頭とともに、パソコンと音楽が急接近していった時代である。

 初代iPodの登場は、2001年だった。この時系列からわかるように、当時MP3のポータブルプレーヤーはすでに多くのメーカーが参入しており、Appleが先陣を切ったわけではない。ただストレージにHDDを採用したことで、容量が破格に大きいところがウリだった。

photo 初代iPod

 初代iPodはMacにしか対応しておらず、Macの周辺機器扱いだった。当時のMacは、ジョブズ復帰後にiMacやiBookなどのカラーリング戦略がウケていた時代である。iPodが大きく注目されたのは、翌年の第2世代でWindowsに対応してからだ。

 今では信じられないかもしれないが、当時WindowsにはiTunesがなく、サードパーティー製MP3プレーヤーの「MusicMatch Jukebox Plus」が付属していた。コーデックのAACもまだなく、iPodはMP3再生機だったのだ。エコシステムがちゃんと動いていなかったが、それでも「世界を取る」ためにはWindowsへの対応が必須だった。

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