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放送はIP・クラウドに乗せられるか 総務省の思惑と放送局の正念場小寺信良のIT大作戦(2/2 ページ)

» 2022年08月13日 06時26分 公開
[小寺信良ITmedia]
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マスター設備は共用化できる?

 放送局のマスター設備については、一般の人には分からない話であり、説明が必要だろう。2022年4月に東芝が総務省に対して提出した資料があるので、それを見ながら解説していく。

 放送局のマスター設備とは、番組送出プログラムによって自社ビデオサーバから自動送出される番組の、運用状況の監視や放送品質のチェックを行なう。また緊急放送などの割り込みが発生した場合の切り替えは、マスターの仕事となる。またデータ放送やニュース速報字幕送出なども担当する。

photo マスター設備の業務(東芝提出資料)

 このマスタールームは各局が自社内に構築しており、2ないし3設備を交代で切り替えながら運用している。筆者が知る限り、遅延や画質劣化を嫌うことから、また過去の運用実績からも非圧縮伝送がベースとなっており、IP化によるコスト削減から一番遠いところにある。

 また機材は24時間電源を落とすことなく動いていることから、5年〜10年で設備更新となる。このためマスタールームを複数室設けて、1部屋ずつ更新をかけるわけだ。つまり各マスタールームは、設備に時代差がある。このマスター設備をクラウド化して共用化し、またコントロールもセンター化することで更新費用を削減できないか、というのが提言の趣旨だ。

 これまで放送局は、完成番組はおろか取材素材であっても、クラウドに出すことを警戒してきた。「スーパーハッカーに映像が盗まれたらどうする!」そういう心配を、真顔でしていたわけである。まあ実際政治的にクリティカルな映像もあるだろうが、多くはタレントのパブリシティ権や制作著作権といった複雑な権利が絡むので、漏えいするとものすごく面倒なことになるのは事実である。

 ところがこのコロナ禍で多くの人が出勤停止になり、自宅から仕事するにあたって、もうクラウドに素材を上げないと立ちゆかなくなった。局ではクラウド化したと言えば「スーパーハッカー」に狙われるので、公表には消極的だろうが、プロダクションレベルではかなりクラウド化が進行している。

 マスター業務は番組としての完成品を扱うので、それをクラウドに上げる事にはならないだろう。送出サーバは自社内にオンプレミスで置くとして、その制御系は全部クラウドに上げて仮想化したらどうか、というのは現実的なアイデアである。

photo マスター設備のIP化プラン

 一方コントロールルームも、共同のオペレーションセンター化してはどうか、というアイデアもある。これは気象データや交通情報など、どの局も同じソースから引っぱってきているデータが共用化できるといったメリットもある。

 ただ、マスター共用化は上手く行かないだろう。というのも、緊急報道などの番組運用は社外秘であり、隣の局から「あっちはもう速報テロップ準備してんのかな?」とひょいと覗けたり、「うち、これから番組潰して報道特番やるよ」みたいに気軽に他局オペレーターと話をされるようでは困るからである。オペレーションをセンター化することは、割り込みがそれほど発生しない地方局ではメリットがあるかもしれないが、競争が激しいキー局クラスではまず非現実的だろう。

 放送設備のIP化は、4K放送の検討が始まった2014年ぐらいからずっと課題となっているが、結局はそのメリットに乗れないままここまで来た。次のマスター更新はIPで、と考えている局は多いとは思うが、自社を飛び出してクラウド化まで一気に行くほどアグレッシブに考えている放送局は少ないだろう。

 マスター設備と電波網はテレビ放送のハード側の根幹を成すものであり、これを手放してコンテンツ屋として集中しろと言われても、なかなか話に乗れないのではないだろうか。とはいえ設備投資が大きな負担になっているのは事実で、それを解消できる方法があるならやればいいじゃん、と総務省がハシゴを外しにかかっている図式は、正直他人ごととしてはめっちゃ面白い。

 パブリックコメントでは、各放送局が「義務化はやめてくれ」と懇願ムードだが、それはそうだろう。いくら認可事業とはいえ、経営判断としてどうするかは自社で決めるべきである。ただ共有化ということは相乗りする局が複数出てこなければ話がまとまらないわけで、そこまでアクセルを踏める局がどれぐらいあるのか、民放の正念場まであと数年、といったところだろうか。

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