日本のライドシェア議論が迷走するのは、海外のライドシェアとはスタート地点が全然違うからだ。例えばアメリカの場合は、2009年にサンフランシスコでUberが創業したわけだが、もともとタクシー数が足りなかったわけではない。それよりも、「質」の問題であった。遠回りして料金を水増しされたり、ドライバーが横柄……どころかヤバい人という状況で、安全性に課題があったわけだ。
それなら行き先も指定できて料金もそれを元に算出され、現場で支払いのやりとりがないほうが安全だ。また評価制度により、良好なサービスを提供しなければ呼ばれない、もうからないという仕組みで、サービスが自然に向上するよう仕向けた。
またドライバーも専業ではなく、空いた時間に車と労働力を提供するギグワーカーを中心に展開してきた。アプリで呼べば、ドライバーの顔も事前に分かる。多くのタクシードライバーよりもマトモな人が来る可能性が高いサービスだったわけだ。つまり最初からタクシー会社と競争するつもりで事業がスタートしている。
中国も米国とほぼ同じ時期にライドシェアが始まっているが、これもまた事情が違う。中国はタクシーが潤沢にあるにもかかわらず、需要が多すぎて数が足りなかった。理由は、激安だからである。筆者は北京の例しか知らないが、2010年頃の物価で考えると、北京郊外から市内まで乗っても日本円にして300円程度なので、タクシーで通勤する人も多かった。公共交通機関が圧倒的に足りなかったせいもある。
ただ街中でタクシーを拾うのは至難の業で、片側3車線の真ん中で信号待ちしているタクシーを無理やり道路を横断して捕まえるみたいなバイタリティーがなければ、乗れたものではなかった。また客は助手席に乗るのがセオリーだ。その方が景色がいいから、といわれてはいたが、実際には客もドライバーもお互いに監視し合うという意味合いがあったのではないかと思っている。
中国は移動手段に関してやたらとフリーダムなので、2010年頃はタクシーより“格下”の乗りものとして、トゥクトゥクのようなものが数多くあった。また自転車を改造して電動にしたものや、ペダルの付いた電動スクーターのようなものなど、やたらと多様化していた。
2017年に再び北京を訪れた際は、ライドシェアよりもシェアサイクルのほうが利用爆発していた。北京ではラストワンマイルの足が問題だったようだ。現在中国のライドシェアはDiDiに集約された格好だが、配車アプリのおかげでタクシーを捕まえるのに命を賭ける必要がなくなった。このDiDiではライドシェアもタクシー配車もどっちでも呼べるようになっている。タクシー車両は古いので、いい車に乗りたければライドシェアのほうがいい。
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