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「定年まで逃げ切れなかった」デイリーポータルZ独立 林さんに聞く不安と希望「もう一度、インターネットらしく」(1/5 ページ)

» 2023年12月22日 15時28分 公開
[岡田有花ITmedia]

 「デイリーポータルZという、もうからない事業をずっと続けて。52歳なので、定年まであと7年ぐらいだったんですよね。逃げ切れなかったな」。編集長の林雄司さんは、静かにこう話す。

画像 デイリーポータルZの記事例

 人気Webメディア「デイリーポータルZ」がついに独立する。20年余の歴史の中で、ニフティ、東急グループの2社・計3社を渡り歩いてきたが、2024年1月からは、サイト編集長の林さんが代表を務める新会社「デイリーポータルZ株式会社」が運営を引き取る。

 「愉快な気分になりますが、役に立つことはありません」がキャッチコピーのこのサイト。記事では「新しいiPhoneが20万するので代わりに20万を持ち歩く」「実際、桶屋はいつもうかるのか?」など、「わりとどうでもいいけれど、言われてみれば気になるかなあ」ぐらいの企画を大真面目に実行し、詳しくリポートしている。

 リアルイベントの主催も得意だ。ハロウィンの時期にあえて“身近な人”の仮装をして集まる「地味ハロウィン」を発案し、2014年から運営。「昼休みに突っ伏して寝ていた人」などニクい仮装の人々が集まり、毎年多くのメディアが取材に来る一大イベントに成長した。技術力が低い人限定のロボットコンテスト「ヘボコン」も、長く愛されているイベントだ。

画像 「地味ハロウィン2023」の記事より

 記事やイベントで抜群の存在感を誇る一方で、運営が赤字続きだったことは周知の事実。独立後も赤字が続く見通しだという。新会社は林さんの“1人会社”でオフィスもないため、屋根や壁もなくなる。

 それって大丈夫なのだろうか? そもそもなぜ今独立したの? サイトは本当に維持できるの? 赤裸々な実情から収支構造、サーバやCMSの詳細まで、林さんにぶっちゃけてもらった。

画像 屋根も壁もなくなります。林雄司52歳、身一つです

自分でやれば、「やめろ」って言われないから

――2002年から21年間、大手企業の傘下で運営されてきたサイトが独立とは驚きました

 「自分でやりたいな」という気持ちはずっとあったんです。そうすれば「やめろ」って言われないから。雇われている限り、サイトをやめろって、いつか言われるんじゃないかと。

 続けるかやめるかの判断を、自分じゃない人が握っているのは嫌だなあと思っていて。仮に黒字化したとしても、次の年は5%成長とかを期待されますよね。何の策もないのに数字だけ与えられる、みたいな世界から脱したいなと。

 自分でやっていたら、成長しなくていい。維持できる程度の収入があれば、続けていくことができるので。

 僕がこれまで書いた記事の著作権も会社にある状態だったので、「いつかこのサイトなくなったときに、俺の記事も消されちゃうのかな」っていう怖さもずっとあったんですが、もう安心です。

――会社から「やめろ」と言われた、ということですか?

 それは、サイトが始まってから、わりと常に……。

 ニフティも東急グループもそんなに下品な会社じゃないので、直接は言いません。でも、赤字の報告をすると、「この状態では続けられないこともあるので」とかやんわり言われる。言われてもヘラヘラしてきましたけど、そういうふうにナイフを突きつけられるのは嫌だなって。

 自分の会社だったら、「もうからないから、やめだ!」って自分で決められるから、スッキリしていいなと。僕が自分の会社で大失敗して終わるんだったら面白いじゃないですか。もし東急グループなりニフティで失敗して終わることになったとして、「あの会社がデイリーポータルをやめさせた」みたいに悪者にされるのも嫌だし。

 会社の中でやっていると「これは面白いけど会社はどう思うかな」とか「会社は喜ぶけどこれあんまり面白くないかな」とか、会社の方を向いていないといけない。そうしてだんだん「こんなもんでしょ」と妥協していくのも良くないかなと。

――会社員として、自由度が制限されている面があったと?

 いや……むしろ会社の人が聞いたら「何を言っているんだ、自由にやらせていただろう」って怒ると思います。僕が1人で勝手に緊張してた感じはありますね。社内のプレゼンとかも「ちゃんとしてるじゃん」と言われたいって勝手に思って、固くなっていました。

20年前は採算度外視だったが、だんだん世知辛く

――もうけを求められない時代もありましたよね。04年、ニフティ時代の林さんインタビュー記事には「利益“非”追求型」「収入はないです」と書かれていました。06年の記事も「商用サイトなのにバナー広告もなく、ビジネスのにおいがしない」と。もうけるように言われ始めたのは、その後で。

画像 まだ牧歌的だった06年の記事より。「会社からも『もうけろ』とあんまり言われなくなりました」と書かれている 

 ニフティにいた初期(02年〜05年ごろ)だけは言われなかったんです。なんで言われなかったんだろう? 制作費もいくら使っているかわからないぐらいで。

 当時は「ネットには何かあるかもしれない」という期待感がまだあって、それが林にスライドしてきていたんでしょうね。その在庫がもう尽きた感じ。その後、僕が金髪にしたりして期待感を出そうとしたんですけどね。「こいつは違うぞ」というイメージを。

――要求される売上規模も徐々に上がってきていましたよね。いま、有料会員制度の「デイリーポータルZをはげます会」の会費は月額1000円(税別・消費税率が変遷しているため、以下すべて税別)からですけど、09年に始まった会員システム「デイリーポータルZ 友の会」も最初は月100円でした。

 「友の会」を始めた時も、もうける気はゼロで。最初は「iモード」の有料サイトだったんですが、月10円にしようとして、NTTドコモに「10円はダメです」って言われて、設定可能な最低額の100円にしたんですよ。

 友の会にはその後、月300円の「梅」と1000円の「松」コースを作ったんですが、松コースの会員には当時、1000円分のグッズを送ってたんです。だから収益改善には何も貢献しない。

 でも、東日本大震災があって、コロナがあって、みんな暗くなっていって、僕もだんだん暗くなってた気がしますね。会社からも、もうけるように言われ続けて。

 17年4月にニフティのコンシューマー事業がノジマに譲渡されて、7カ月ぐらいノジマグループのニフティ傘下でした。その年の11月、「ニフティを筋肉質の会社にする」という話があって、東急グループに移管されました。

――つまり、デイリーポータルはニフティの脂肪だったんですか。

 そうか、そうだよなと。

ノジマも東急グループも「いい会社だった」

 ノジマには半年しかいなくて、社内の人と直接関わったわけではないですが、みんな楽しげで、良かったですよ。その次に東急グループ傘下のイッツ・コミュニケーションズに行きますといわれて、「マジで! すげえな、東急かあ」って。

 イッツコムは二子玉川(東京都世田谷区)や用賀(同)だったんですが、用賀、良かったな。ビルも街もすごく好きで。ニフティも最初は大森(東京都大田区)の住宅街のオフィスだったんで、似ていて。

 イッツコムから東急メディア・コミュニケーションズ(渋谷区)に移りましたが、東急グループの人はみんなおっとりしていて良かったです。オフィスが広いし、サイトの運営に口を出さず、自由にやらせてもらって。広い会議室で撮影できたし。会社員としていい思い出のまま、去ることになりますね。会社は楽しかった。

画像 2023年いっぱいまで在籍する東急メディア・コミュニケーションズの受付。キラキラしていた。屋根も壁もしっかりしている
画像 広い会議室を自由に使えて、いろんな撮影ができた

 東急グループに移ってからは僕も真面目に、サイトにバナー広告も入れましたし。上からもうけろって言われたわけじゃないんですが、僕が「ちゃんともうける気がありますよ」って言いたかっただけ。

「定年まで逃げ切れなかった」

 デイリーポータルという、もうからない事業をずっと続けて。52歳なので、定年まであと7年ぐらいだったんですよね。逃げ切れなかったな。

 でも、サイトを譲渡してもらう時も、東急グループがちゃんと話をまとめてくれて紳士的でした。譲渡額もかなり優しい金額で。最後がいい会社でよかったなあ。

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