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世界的に炎上したAppleのCM「Crush!」は、なぜ日本から“クラッシュ”したのか小寺信良のIT大作戦(3/4 ページ)

» 2024年05月16日 12時30分 公開
[小寺信良ITmedia]

マイノリティではなくなったApple

 これまでAppleが行なう破壊的な表現のプロモーションが、大きな問題にならなかったのはなぜか。それは、Appleがマイノリティだったからである。

 スタンダードを破壊するという表現手法が成立する大前提は、破壊を行なう側はスタンダードではないはずだ。弱者がスタンダード(体制)に逆らうから、人々は共感し、その立ちむかう姿に感動する。1984年にしても1998年にしても、まだAppleはiPhoneどころかiPodすら発売しておらず、コンピュータ業界ではマイノリティだった。

 だが現在のAppleは、マイノリティではない。特にiPadは、タブレット業界ではスタンダードなポジションにあり、AndroidもWindowsも息も絶え絶えといって過言ではないほど、明らかに強者の側に立っている。

 つまり1984年で描かれた「ビッグ・ブラザー」は、タブレット業界においてはもはやAppleなのである。絶対的強者が、既存のものを力尽くで破壊していくという表現は、支配であり、強制のように見える。

 もう一つ受け入れがたい理由として上げたいのは、この表現が「文化」に対する理解のなさや軽視を感じさせるからである。

 例えば最初に破壊される、トランペットを例に上げてみよう。筆者は娘が吹奏楽部でトランペットを吹いていたので、この楽器の難しさや奥深さ、あるいは楽器の値段といった情報を持っている。

動画内で最初に潰されるトランペット

 現代はデジタルシンセサイザーやサンプリング技術により、トランペットの音を再現するのは造作も無いことだ。だが、なぜ楽曲の中でトランペットの音が必要なのか。

 それは、トランペットの持つ音色、それがあることで出現する雰囲気、いわゆるトランペットらしい表現が欲しいからである。つまりトランペットが背負っている文化や、それが使われてきた楽曲の完成度といったバックグラウンドを、借用するわけだ。いくら「音」がそっくりでも、トランペット「らしさ」をもって使わなければ、トランペットには聞こえないし、トランペットの音を使う意義もない。

 さらにいえば、シンセサイザーでトランペットの音を使うのは、本物のトランペッターを雇う金がないとか、自分がトランペットを演奏できないといった事情があるからだ。つまりは代用品なのである。本物の表現は、本物のトランペット上にしか存在しない。

 こうした「本物」を破壊して、これからは代用品で十分ですよ、iPadでやれますよと言うのであれば、その意見には同意できない。

 日本においては、文化を継承する担い手に職人的な気質があることは、広く理解されている。楽器やレンズは、芸術を表現するためのただの道具に過ぎないが、道具を大切にしない職人が上手いはずがないということもまた、理解されている。つまり、芸術家や職人とともに、道具もリスペクトするのは当然という文化がある。

 破壊される古い楽器やレンズは、それらの道具を愛する人たちをも象徴しており、そういう人たちもAppleによって駆逐される側に回るのだ、という意味に受け取れる。この動画に対し、文化に対するリスペクトが無いとまず日本から意見が出てきたのは、当然であろう。

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