さて、この補助金制度には1つわながある。15年の「くまモンのICカード」導入時は、あくまで「(全国共通の仕組みを受け入れ可能な)交通系ICカードの新規導入」という扱いだったものが、今回は「機器の更新」であり、補助金の対象外となってしまう。つまり初期導入時は補助金の存在によって相殺されていたイニシャルコストの高さが、今回はそのまま降りかかってくることを意味する。
前述のように5社の経営状況は決して芳しくないこともあり、費用負担は最小限に抑えたいという意向が働いたのが今回の決断の経緯となる。全国共通の10カードの受け入れを中止して不自由を被る利用者には、代わりにクレジットカードなどによるタッチ乗車の仕組みが提供されることになるが、この費用も無料ではないものの、10カード関連の更新費用に比べればずっと安いということなのだろう。
現在日本全国で進んでいるタッチ乗車の導入の最前線で動いている三井住友カードのstera transit事業を統括する石塚雅敏氏は「日本全国のバス会社など中小の交通事業者を中心に同じような機器(運賃箱)の更新問題を抱えており、今後10年とたたずに更新期限が来ることを考えれば、次々と同じような決定を行う事業者が出てくる可能性が高い」と述べている。
タッチ乗車の具体的な導入コストは非開示のため、今回のケースでの10カードからのリプレース費用との単純比較は難しいが、筆者が取材したすべてのケースにおいて「大きく費用が下がる」という担当者のコメントは得ており、少なくとも補助金制度がなしの状態でのリプレースと比較しても大幅に下がることは間違いない。より少ない費用負担で、10カードが使えなくなることの代替が可能というスタンスだ。
今回は地域のバス事業社5社が中心となっていたが、特にバス事業者にとって10カードの維持負担が大きくなる理由が2つある。
1つはバス会社の場合、中小の事業者であっても地域交通を担う場合には少なくとも数十台、中規模以上のケースで100台以上を抱えていることも珍しくなく、機器の更新費用が台数分のしかかってくる。運賃箱を取り扱うメーカーは日本国内に実質的に片手で数えられる程度しか存在しない。とはいえ寡占で暴利を貪っているわけでもなく、狭い市場でしのぎを削っているのが現状だ。ゆえに運賃箱の導入あるいは改造費用はほぼ固定された費用としてカウントされるため、残りの部分でいかに費用を削るかが重要となる。
2つ目は日本鉄道サイバネティクス協議会の存在だ。日本鉄道技術協会の特定部会であり、前出の「サイバネ規格」はここで定められている。「片利用」を含め10カードへの対応を行う場合、同協議会に参加して年会費を支払う形となるが、おそらく最大の問題となるのは会費そのものよりも、前述の「メインテナンスなどを含むサイバネ規格を維持するためのさまざまなコストや手間」にあると思われる。
ある情報源は、以前に「『サイバネ規格』はそこで負担した費用が中核にあるJR東日本を中心とした大手に流れる仕組みになっており、これを嫌ってわざと独自仕様の交通系ICカードを導入する地方の事業者がいる」と述べていた。これは極端な例だが、いずれにせよ会社の体力に見合っていない負担が強いられるケースが、特に地方の事業者に多いというのもまた事実かもしれない。
熊本放送(RKK)の報道によれば、今回話題となった5社の場合、くまモンのICカードの利用割合が全体の半数強、10カードは25%で、残りが現金による支払いだという。今年いっぱいで10カード分の数字がまるまる抜ける形となるが、来春にはクレジットカードによるタッチ乗車がスタートするため、おそらくその多くを吸収できるだろう。
「子どもや高齢者はどうするんだ」という意見も聞かれたが、そもそも域内ではくまモンのICカードが有効であり、過半数がこの利用者であることを考えれば、地域交通の利便性を高める仕組みとしては十分に機能している。むしろインバウンドなどの利用を見据えれば、今後は域外からの訪問者はクレジットカードやデビットカードなど、“タッチ決済に対応したカードやスマートフォンを持ち込むことが主流になっていくだろう。
カードを持たない人はQRコードの乗車券も用意されるので、家族などでのグループ移動でもそこまでの混乱はないと予想する。「タッチ乗車は反応が遅い」という人もいるだろうが、地方の交通機関に秒未満の反応速度が必要だろうか?
むしろ、今後考えるべきなのはSuicaなど10カードの行方だ。およそ7〜10年単位で運賃箱や改札などの更新サイクルがやってくることを考えれば、先ほど石塚氏が触れていたみたいに地方交通を中心に10カード対応を切り捨てるケースが続出し、2030年ごろには「地方の公共交通機関で10カードが使えない」というケースも珍しくない可能性が高い。
Suicaがデビューして間もなく四半世紀が過ぎるが、技術的にはむしろ枯れたといえる状況にあり、今後10年先を見据えてどのような姿で国の公共交通機関の運賃収集システムを構築していくか、改めて考えなければいけない段階になりつつある。
現在、SuicaとPASMOは販売制限がまだ続いており、海外からの旅行者を対象とした案内センターでの掲示こそなくなっているものの、窓口で問い合わせても定期券や紛失時以外の対応は行っていない。写真は東京駅のサービスセンター
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