商談での失敗を重ねる中で「コンテクスト」の重要性を学んだ椎橋CEO。しかし、組織づくりにおいては、また別の落とし穴が待ち構えていた。
「頭だけ使ってスマートにやっていければ」──チャットbot開発プロジェクトで椎橋CEOが描いた理想的な役割分担は、スタートアップの現実の前に崩れ去ることになる。
当初の構想は明確だった。営業専門家にドアノック営業を任せ、CTOがエンジニアを率いデモ開発に専念する。そして椎橋CEO自身はCEOとして、コンセプトの構築と全体管理に徹する。行動計画とKPIを設定し、PDCAを回していく──大企業での組織戦略コンサルプロジェクトの経験やリーンスタートアップの理論などをもとに、効率的な体制を目指した。
しかし、現場では深刻な断絶が生じていた。「営業からは『こういう質問を受けたが、プロダクトがまだないので答えられない』という報告が上がってくる。一方、開発サイドは『それでも売るのが営業の仕事だろう』と考える」。両者の溝は日を追うごとに深まっていった。
さらに、スタートアップの「理想像」が、問題を複雑にしていた。「プロダクトは営業がいなくても売れるものを目指さないといけない」「SaaSのように、プロダクト自体の価値で勝負する」──一見、正論に思えるこれらの考えに、椎橋CEOも影響を受けていた。
この考えを覆したのは、共同創業者の藤原弘将氏の一言だったという。「コンテンツドリブンで売れる最も典型的な例であるアーティストでも、手売りで売れなければ、いきなりマーケティングで売れることはない」(藤原氏)
藤原氏の指摘は、問題の本質を突いていた。まずは自らお客と接しながら、ニーズに合うプロダクトに近づけていく。その地道な過程を経ずして、理想的なプロダクト主導の成長はありえない。「結果が出ない日々を過ごす中で、プロダクト開発はそんなにスマートにはいかないことを思い知らされました」と椎橋CEOは語る。
この経験は、より本質的な気付きももたらした。「AIのインパクトは、SaaS型のプロダクトとして展開するよりも、企業の持つ産業アセットと組み合わせていったときに最も大きくなる」。スタートアップの「かっこいい勝ち方」を追求するあまり、見失いかけていた本質がそこにあった。
「プロダクトを作ってセールスなしでマーケティングだけで売れていく」「労働集約的なコンサルはかっこ悪い」──ミーハーな思い込みが、むしろ成長の足かせとなっていた。この反省が、後に同社のカスタムAIソリューションという事業モデルの確立につながっていったという。
こうした失敗を経て企業向けのAIコンサルティングともいえるオーダーメイドAI事業が軌道に乗り始める。しかし皮肉なことに、逆に椎橋CEOはある種の危機感を覚えていた。
「AIのPOCがやりたい」という企業の課題に応えるプロジェクトが増え、売り上げは安定的に伸びていく。しかし、既存業務の部分的な効率化にとどまるケースが多くを占めるようになった。「これは逆にリスキーなんです。真綿で首を絞められるような感覚がありました」と椎橋CEO。目の前の成果に目を奪われ、イノベーションから遠ざかっていく思いだったという。
実は創業期、極度に苦しい時期を支えていたのは、短期的な展望ではなく、むしろ長期的な視点だった。「現実逃避と言えばそれまでですが、20年、30年先の未来を考えることが、唯一の心の支えでした」。日本のAI企業は米国、中国に2周も3周も後れを取っている。それでも、より長い時間軸で見れば、可能性は決して閉ざされていない。
「こういう考え方ができたのも、皮肉にも足元の業績が厳しかったからかもしれません。うまくいっていれば、わざわざ遠い未来に思いをはせる必要もなかった」。短期と長期、現実と理想。相反するものの間でもがき続けることこそが、スタートアップの宿命なのかもしれない。
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