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» 2009年07月10日 17時47分 UPDATE

モノづくりからコトづくりへ:「世界の知で創る」――日産のグローバル共創戦略

野中郁次郎、徳岡晃一郎共著の「世界の知で創る」(東洋経済新報社刊)は1980年代後半から開始された日産自動車の海外開発拠点づくりを題材にしながら、ビジネスにおける「知の共創」の本質に迫ろうという意欲作だ。

[大西高弘,ITmedia]

生産現場ではなく、海外に開発拠点を持つ意味

tokuokabook.jpg 「世界の知で創る」

 1988年に日産自動車はその数年前に米国に設立していたNRD(Nissan Research and Development)に開発機能を持たせて組織を一新し、ゼロからのスタートを切った。日産の海外開発拠点づくりはここからスタートする。現在の開発拠点は米国NTCNA(Nissan Technical Center North America ,NRDから2000年に名称変更)と欧州NTCE(Nissan Techinical Centre Europe)の2大拠点およびBRICs諸国を含めた11拠点があり、人員規模は2万人になるまで発展している。

 2008年、NTCNAで設立20周年の記念イベントが行われた。著者の1人、徳岡晃一郎氏は本書の完成をその時期に合わせたかったが、残念ながらかなわなかったと話す。徳岡氏は80年から98年まで日産の社員として働き、NRD設立時には、人事担当者として赴任するエンジニアの人選や現地とのコーディネート作業に携わった経験を持つ。

 徳岡氏は日産が海外に開発拠点を持とうとした理由について、次のように話す。

 「日産を含めた日本の自動車メーカーは88年以前に生産拠点づくりを中心にした海外進出を果たしていた。しかし、設計を含む開発拠点を米国、欧州という市場で作ろうというのは、前代未聞だった。しかし当時の社長だった久米豊氏は自動車産業のグローバル化の進展を見て、開発拠点の海外進出は避けられないと見抜いていた。もちろん社長だけでなく多くの関係者が、各市場ごとに独自のニーズが生まれている状況を認識していて、それに応えられなければいずれ市場から脱落するという危機感を持っていた」

 海外に開発拠点を持つという場合、もちろん現地スタッフを雇うが、最終的には日本人エンジニアが中心となって各拠点でイニシアチブを取るという方が、当時もそして今も「自然な流れ」としてとらえられがちだ。しかし、日産は違った。現地で雇用したエンジニアも日本から出向してきたエンジニアも対等な関係で、市場ニーズに合った「いいクルマづくり」に挑戦するというものだった。

 徳岡氏は、こうした取り組みが多くの苦しみを伴いながらも成果を挙げることができたのは、NRDが最初に取り組んだフォードとの共同開発が背景にあるのではないか、と話す。

 「フォードとの共同開発でいきなり修羅場に立たされた。無条件に『日産ウェイ』がまかり通る環境ではなかったのです。設計図に対する考え方、部品の管理の仕方、各業務での権限の持ち方などについてまったく違う背景を持つスタッフが一緒にモノづくりをする。衝突があちらこちらで起き、のっぴきならない状況で互いに着地点を見つけていくしかない。両社とも非常にストレスを感じたと思います。しかし、それがあったからこそ、のちに米国、欧州、その他の地域で採用した現地のエンジニアに、日産ならではのモノづくりの思想を伝えることができたのだと思います」

一人前のエンジニアリング会社とは

 同時期に設立されたNTCNA、NTCEの成長の経緯は、本書に詳しく書かれているのであえて記さないが、現地で開発をすることの意味について徳岡氏はこんな話をしてくれた。

 「アクセルやブレーキペダルのあるフットスペースやハンドル1つとっても、細かなニュアンスは分からない。性能がいいので、日本で設計した製品でも売れていたりすると、余計に細かなところにまで目がいかない。しかし現地のエンジニアはそうしたニュアンスが分かっているから各スペースの配分を変えたほうがいいと主張する。すると車体の設計ががらりと変ってくるわけです。また、現地のエンジニアも日本人エンジニアと議論をするうちに、相手が相当高いレベル知識、経験知を持っていることが分かってくる。担当する仕事の権限についても、明確に仕切られているのではなく、どんどん任せてくれる。すると現地のエンジニアもどんどんモチベーションが上がってきます」

 ただし、モチベーションを上げるには、やはり現地開発拠点の仕事そのものが大きなものでなくてはならない。現地開発拠点にとって、もっとも挑戦しがいのある仕事、それは「ケース3開発」だ。日本の開発部門はプラットフォームを開発するだけ、上屋部分つまり目に見える部分はすべて現地で開発するというケース3開発ができて初めて、エンジニアリング会社として一人前と認められる。

 「テラノ2」「マイクラ」「キャッシュカイ」といったクルマを現地開発拠点はケース3で開発してきた。その実績があったからこそ、日産がルノー傘下に入ってからも、これらの拠点は存続、発展しさらに大きな実績を積み上げていくことができたのである。

 「ケース3開発をしたクルマの中には、米国などで優秀な製品として数多くの賞を受賞しているものもあります。このことからも、掛け値なしで、世界中の知を結集してモノづくりをし、そこで生まれた製品が評価されたといえます。国内に閉じこもって開発をしていたら、こうした成果を上げることはできなかったでしょう」と徳岡氏は語る。

コトづくりとは何をすることを言うのか

tokuokaface.jpg 「モノづくりからコトづくりへのシフトが日本の製造業の課題」と語る徳岡氏

 徳岡氏は本書を野中氏とともに作り上げることになったきっかけを、次のように話してくれた。

 「日本の自動車メーカーで、トヨタ、ホンダは明らかに強烈な個性を持っていて、価値観、理念が明確。日産はどうなんだろうという話になりました。本の中にも書いていますが、日産は『普通の会社』。その普通の会社がトヨタやホンダがやっていないこと、際立っている取り組みをしているとすればそれは何か。そう考えていくと、海外開発拠点のことが浮かんできたんです。海外に開発拠点を持って、現地のエンジニアが日本人エンジニアと本当の意味で対等に仕事をする環境を作るというのは、トヨタ、ホンダではなく、日産だからやれたことだと思います」

 日産だからやれたこと、という意味は「トヨタなら海外開発拠点にも回せるだけの開発者を抱えているから、すぐに日本人スタッフで体制を整える。ホンダは米国市場に集中的に進出するという思い切った策をすぐに出す。日産は、日本市場も大事だが、欧米でもシェアが欲しい。そうなると海外の開発拠点を日本人だけで回していくなんてそもそも無理だと分かってくる」(徳岡氏)ということだという。

 「これからの日本の製造業は、単なるモノづくりからコトづくりをしていかなければならない」と徳岡氏はいう。本書ではコトづくりについて次のように説明している。「デザイン、ソフト、サービスなどを総合してモノに込め、消費者にその商品を使用する場面の価値を訴え、ストーリー性や意味づけを与えるような、経験価値の創出」。自動車でいえば、英国のうねりの多い道を時速70キロのスピード、マニュアルミッションで駆け抜ける高揚感、米国の一直線のハイウェイをオートマチックでリラックスして走る悠然とした感覚、こうした魅力は現地のユーザーの体に染み付いた暗黙のニーズをつかみとって始めて製品というハードに置き直すことができる。普通の会社である日産は、海外開発拠点づくりという取り組みで、文書に置き換えることのできる形式知だけでなく、暗黙知をグローバルでいかにして共有し、製品づくりに生かすかしていくかという課題にぶつかり、20年以上の年月をかけて答えを出し続けてきたといえるだろう。

 徳岡氏によると、本書の執筆のために「1週間で世界1週」という強行軍の取材を体験したそうだ。その成果を生かして大半の部分は事実を積み上げた「ノンフィクション作品」となっているが、最終章では「モノづくりからコトづくりへ」「市場と対話し暗黙知を製品に込める」という大きなテーマについて分かりやすくまとめられている。ノンフィクション部分を読み、別の書き手がそこから得られるエッセンスを別原稿でつまびらかにするというのはよくあるパターンだが、本書はそれを2人の共著者が同じ本の中に記し、さまざまな環境にいる読者に多くの示唆を与えてくれる。

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プロフィール

とくおか・こういちろう 日産自動車にて人事部門各部署を歴任。欧州日産出向。オックスフォード大学留学。1999年より、コミュニケーションコンサルティングで世界最大手の米フライシュマン・ヒラードの日本法人であるフライシュマン・ヒラード・ジャパンに勤務。コミュニケーション、人事コンサルティング、職場活性化などに従事。多摩大学知識リーダーシップ綜合研究所教授。著書に「人事異動」(新潮社)、「チームコーチングの技術」(ダイヤモンド社)、「シャドーワーク」(一條和生との共著、東洋経済新報社)など。


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