岡本課長が堺との面談を行った日の夕方、大塚は岡本課長から面談の様子を聞かせてもらった。
岡本 「堺さんはずいぶんと苦しんでいたようです。表面的には、仕事のミスで自信喪失になり、みんなが寄ってたかって自分のあら探しをしている、という人間不信の強迫観念にとらわれている症状でした。それが仕事への集中力を妨げることで余計にミスが多くなり、さらに自信喪失と人間不信につながっていく、という悪循環に陥っていました。その直接の原因は、やはりプロジェクトマネージャとしてのプレッシャーにあったようです。そのあたりをじっくりと聴いてみると、堺さんにはプレッシャーに負けた自分の心の弱点が見えてきたようでした」
そこまで話すと、岡本課長は一息ついてコーヒーを口にした。
岡本 「堺さんは、子供のころから“いわゆる勉強のできる子”だったそうです。高校も進学校に入り、大学も有名大学に現役で合格しています。ただし、堺さんの表現によると、消去法で歩んできた進路だったそうです。理系が苦手だから文系にした、経理も文学も語学も嫌いだから法学を選んだ、というわけです。就職のときも同じで、別に何をやりたいという積極的な理由もなく、あれも面倒これも嫌いということで、コンサルティング業界を選んだそうです。この消去法的な生き方が、自分の心の中に『面倒なことからは取りあえず逃げる』という姿勢を植え付けたのではないか。堺さんはそういっていました。自信喪失や人間不信といった、いまの自分の苦しさは、物事から逃避するという心の弱点がもたらしたものではないか。そうもいっていました。本庄さんが大塚さんに報告に行ったのも、堺さんのことを本気に心配していたからだという話を伝えたら、堺さん、ちょっと涙ぐんでいたようです」
すると、岡本課長は改めて大塚の方を向き、話を続けた。
岡本 「堺さんは聡明な人です。自分自身の力でそこまで気付いたのですから、きっと立ち直れると思います。ただし、堺さんはもう少し時間がほしいといっています。大塚さん、どうでしょう。もう3日間休ませてやって、その後にもう一度、確認のための面談をさせてくれませんか」
大塚はその場で了承した。
その日の夜、大塚は「ゆきんこ」で、赤城とさしつさされつ熱燗を飲んでいた。
大塚 「岡本課長のおかげで、堺の問題もどうやら解決に向かったようで、ほっとしましたよ」
赤城 「うん、ほんとによかったな!」
大塚 「しかしなんですねぇ、経理とか財務とか金融とかは何とか理解できるし、法律はかなり難しいけど、その気になって頑張れば、理解できないこともない。でも、人の心の問題はさっぱり分かりませんねぇ。何をどうすればよいのやら、お手上げですよ!」
赤城 「理論や理屈じゃないからなぁ」
大塚 「しかも、仕事のプレッシャーや職場の人間関係が、メンタルバランスを崩す主な理由だってんだから、俺にいわせりゃ、甘えるんじゃねぇ! ってところですけどねぇ……」
赤城 「ハハハ、大塚くんは昔から心臓に毛が生えていたからな!」
大塚 「それは一応、褒め言葉として受け取っておきますけどね。でも赤城さん、俺たちの若かったころは、いまのようにやれプレッシャーだメンタルヘルスだと寝言をいうやつはいなかったんじゃないですか」
赤城 「それはどうだろう。原始時代にだって江戸時代にだって、プレッシャーってものはあったんだと思うよ。プレッシャーがあれば、何らかの精神的な影響を被るというメカニズムも同じだったはずだ。ただし、プレッシャーの内容も質も時代によって違っていたんだろうけどね」
大塚 「でも、やっぱりいまの若いやつらはひ弱ですよ。プレッシャーなんて、仕事していくうえでは当たり前のことじゃないですか。プレッシャーを楽しむくらいでないと、プロとはいえないでしょう?」
赤城 「それをいうと、自分の価値観を通して聴いてはいけない、っていわれるんだろう(笑)」
大塚 「それ、それですよ。傾聴! 岡本課長から傾聴の何たるかを聞いたときは、俺には無理だなと直感しましたね!」
赤城 「でも、ひ弱な若者が増えていくこれからの時代、管理職にはますます必要なスキルになっていくんじゃないの?」
大塚 「そうなんですよねぇ。俺もそれはウスウス感じてます。でもまぁ、BB身に付けていきますよ」
赤城 「何だよ、ビービーって」
大塚 「ボチボチやっていくって意味です。俺も大人ですからね。ひ弱でなっとらんというのは本音。管理職として傾聴は大事という建前論もきっちりと実践しますから、ご心配なく!」
赤城 「YT」
大塚 「YT? 何すか?」
赤城 「よろしく頼むよ!」
【次回予告】
堺はプロジェクトマネージャに昇格したものの、仕事のプレッシャーやクライアントへの反感からうつ病気味になってしまいました。今回の堺のように、メンタルヘルスを崩した人に対しては、叱咤激励が逆効果になることもあります。
実際には、岡本が説明していたように“傾聴”することが非常に重要になります。次回は、メンタルヘルスをコンプライアンスの視点から詳しく分析します。なお、次回は4月9日に掲載予定です。お楽しみに。
▼著者名 鈴木 瑞穂(すずき みずほ)
中央大学法学部法律学科卒業後、外資系コンサルティング会社などで法務・管理業務を務める。
主な業務:企業法務(取引契約、労務問題)、コンプライアンス(法令遵守対策)、リスクマネジメント(危機管理、クレーム対応)など。
著書:「やさしくわかるコンプライアンス」(日本実業出版社、あずさビジネススクール著)
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