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第6章-1 人とロボットの歩行は何が違うのか人とロボットの秘密(1/2 ページ)

» 2009年06月03日 17時44分 公開
[堀田純司,ITmedia]

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ロボットという人工生物が大進化した

 世界で初めて実用ロボットが開発されたのは、1962年のことだった。

 この年、アメリカのユニメーション社とAMF社が相次いで油圧駆動方式の産業用ロボット開発に成功。それぞれ「ユニメート」「バーサトラン」と名づけられる。これらは人間が操作した動作を記憶し、その後は自動的にプログラムされた作業を繰り返すという産業用ロボットだった。

 ちなみに日本では、この1962年にSONYからポータブルテレビが発売され大ヒットとなり、早川電機工業(現在のシャープ)が、国産初の電子レンジを発表。また戦後初となる、国産旅客機「YS‐11」のテスト飛行が行われている。ちなみに翌1963年は『鉄腕アトム』のテレビシリーズ放映が開始された年だった。

 アメリカで誕生した産業用ロボットは、高度成長時代に入りちょうど深刻な人手不足に悩まされていた日本に紹介されると(中卒の人が金の卵、高卒の人が銀の卵と評されていた時期だ)、ほどなく国産化される。

 当時のロボット研究者の一人、梅谷陽二豊田工業大学教授のテキスト「生物工学的な移動ロボットの研究」(日本ロボット学会誌23巻4号収録 2005年)によると、この1960年代、ロボット開発は世界的に黎明期を迎え、研究者の数こそまだ少なかったものの、人工の手、外骨格型パワースーツ、二足や四足の歩行機械、人工知能移動機械など、現在のロボットのプロトタイプとなる研究がアメリカ、ヨーロッパ、そして日本ではじまっていたという。

 梅谷教授は当時の状況について生物学の概念を使用し、「ロボットという人工生物の種が大進化の様相を呈していた」と表現している。

 しかし、だからといって当時の日本でロボットの研究が工学として広く認知されていたわけではなかった。森政弘、現・自在研究所社長も、この黎明期に「わが国の工業の特徴は、器用な指先によるきめ細かな作業にあり、今後工業立国を目指すのならば、指の自動化を研究することがポイント」と考えて、ロボットハンドの研究を始めていたが、しかし当時、「それは医学部の研究だ」「唐突すぎて文部省に科学研究費の申請を出せない」など、現在では考えられないような反対に直面したという。

 そもそも「ロボット」という言葉自体が、はなはだうさんくさいニュアンスをもち、論文や学会誌などでまともに使えるものではなかったそうだ。

 産業用ロボットが広く普及するようになり「日本産業用ロボット工業会」が発足したのが1972年。そして「日本ロボット学会」が設立されたのは、世界の産業用ロボットのうち約7割が日本で稼動するようになった1980年代、1983年のことだった。

 森氏は「何事も先駆的な分野が市民権を獲得するのに、20年かかるのでは」と語っているが、ロボット研究もまた、正統的な科学技術として認められるまで20年が経過していた。

 このロボット研究の初期に、人型機械、ヒューマノイドの分野で世界的な先駆者となったのが早稲田大学の加藤一郎(かとういちろう)教授である。

 加藤教授は1970年に、学科横断のチャレンジとして「WABOTプロジェクト」を開始。1973年にいくつかの研究室と共同して、世界初の人間大の大きさのボディを持つロボット、「WABOT‐1」の開発に成功した。

 このロボットは2本の手と足、そして目と耳と口を持ち、日本語で会話することができた。そして人間の命令に合成音で応答し、歩いて物をつかむといった簡単なタスクをこなす能力を持っていたのである。その能力を人間にたとえると、1歳半ぐらいの幼児に匹敵したという。

 人間とコミュニケーションする機械をつくるためには人間を知る必要がある。そしてそのために、工学は他の学問と共同して研究を行っている。「だから人型機械の開発は、究極の人間理解である」というテーゼが本書の主題であるが、これについて加藤一郎教授は、1983年に発表した編著『ロボットは人間を変えるか』で、すでにこのように語っていた。

「ギリシアの昔にはじまる学問は時代とともに分化の度を強めてきたが、いまや広い意味で再総合化がはじまっている。二十世紀後半における科学技術の特筆すべき展開も、総合化においてみられる。その顕著な例が物理科学と生物科学との接近であり融合である。

 工学はロボットを通じて、医学は人工臓器すなわちサイボーグ人間によって、人間を再認識しようとしているし、一方生物学は遺伝子操作により新たに生命とは何かという問いを発している」

人間に向けて総合される科学

 不思議なことだが、人間はなぜか自らを模倣しようとする生き物だった。太古の昔から洞窟の壁に自らの姿を描き、あるいは石を削り、土をこね、木を組み、そして布に描き、金属を鋳造して、人の形を描こうとしてきた。その行為の究極は、自らの手で人をつくり出すことになるだろう。しかし、これはまだ実現はしていない。

 機械で人間を模倣するという試みは、自然がやれたことを、人間もまた行うことができると証明する営みであるといえる。この本では、その営みを伝えようとしてきた。

 しかし、その道のりはあまりに膨大である。人間は動くだけではない。ものを見たり、聞いたりする。さらには言葉を話したり、泣いたり笑ったり、夢を見たり、詩を書いたり、?をついたりまでする。

 人間を理解するといっても、人間はあまりに広い。人間探求の旅は、地図で言えば、まだ世界の果てがどこかにあるかもわからないという段階ではないか。

 この膨大で果てしない探求に、いったいどう取り組めばいいのだろうか。

 対象が膨大ならば──では、とにかくあらゆる課題に取り組んでいけば、いつかは謎を解き尽くせるはずではないか。

 人間の謎があまりに広くて、自分に謎を解く知識がないならば、他の分野の人と協同して、総合的に取り組んでいけばいいではないか。

 本当にそのような研究を行っている人がいる。早稲田大学理工学術院の高西淳夫(たかにしあつお)教授だ。

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