近年、中国政府はAIを単なる技術領域から国家戦略の中核へと位置付ける「ソブリンAI」(主権型AI)政策を強力に推進しています。この政策は、AI技術を国家戦略資産として掌握し、外資系企業の影響力を排除しながら中国国内のAI産業を育成・強化する狙いがあります。
その結果、日本や欧米でなじみのあるグローバルAIモデルは実質的に中国市場から締め出され、一方で中国Baidu(百度)、同Alibaba、同DeepSeekといった企業が手掛ける大規模言語モデル(LLM)が急速に成長しています。本稿では、中国のソブリンAI政策が外資系企業に与える影響と、存在感を強める“中華モデル”の動向について、概観を整理します。
中国のソブリンAI政策には、外資排除を目的とした一連の法制度が含まれています。これらは国家安全保障の名目を超え、国内AI産業の育成・保護を明確に意図しています。
例えば、AIに関する制度の1つである「生成型AIサービス管理暫定弁法」では、生成AIモデル/生成AIサービスに対し、商用提供前に政府の審査と承認を義務付ける他、AIモデル/AIサービスが「核心的社会主義価値観」に沿うことを求めています。このため外資系企業は政治的非中立性を指摘されやすく、さらに届け出型の登録制度や政治的検閲といった制裁を通して、中国市場へのアクセスを制限されています。
次に「インターネット情報サービスアルゴリズム推薦管理規定」および「インターネット情報サービス深層合成管理規定」では、推薦アルゴリズムやディープフェイクを厳格な監視対象と定め、その透明性について中国当局への報告を義務化しています。外資プラットフォームは審査に時間を要し、市場参入スピードに悪影響を及ぼす可能性があります。
さらに、中国の「サイバーセキュリティ法」および「データセキュリティ法」では、重要データを中国国内にて保管し、国外への移転を厳格に制限しています。これにより、外資企業は中国市場向けデータの取得・学習・保管を中国国内で完結させざるを得ず、グローバルAIモデルの適用には高いハードルが課せられます。
これらの規制は、国家安全を標ぼうしつつ、実際には国産AIの育成・確立を産業政策として追求する保護主義的設計でもあるといえます。
一方で中国製LLMは2025年現在、グローバル競争における存在感を急速に高めています。技術面では、DeepSeekの「R1」やアリババの「Qwen 3」などが、中国の主要ベンチマークで米OpenAIの「o1」や「GPT-4o」とそれぞれ同等かそれ以上の性能を示し、一部のタスクでは優位に立つ場面も見られます。DeepSeekは、8月半ばに新モデル「v3.1」も発表しました。
他にも、Baiduが開発する「ERNIE」シリーズは、金融・画像生成タスクにおける性能が注目されています。英国の市場調査会社Omdiaが4月に発効した調査レポートでは、AlibabaのQwenやBaiduのERNIE、DeepSeekといった中国モデルが、生成されたテキストの品質を評価するフレームワークである「AC-Eval」「S-Eval」で、対応速度と応用性の両立で一定の評価を得ています。
中国国内での展開については、中国ByteDanceが提供するLLM「Doubao」は、7月に月間アクティブユーザー数(MAU)が1億4100万人を突破。DeepSeekやERNIEも急速に利用が拡大するなど、国内ユーザー基盤も急成長しています。政府の認可も進み、2025年にはすでに150件を超える中国製生成AIモデルが承認され、その中でもLLMは約50件を占める重要な領域となっています。
グローバル市場に向けては、QwenやDeepSeek、Doubaoなどがオープンソース化とクラウド統合を進めたことから、世界中の開発者による利活用が可能となり、国際競争力も高まりつつあります。中でもDeepSeek R1の登場は、欧米メディアから「AI版スプートニクショック」と評され、中国発の技術が世界的な注目を集める象徴的な出来事となりました。
スプートニクショックとは、1957年10月4日のソ連(当時)による人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げ成功の報により、米国をはじめとする西側諸国が受けた衝撃感を指す。
総じて、中国製LLMは技術力と実装力の両面で着実に進化しており、グローバル市場においても米国製モデルを脅かす存在になりつつあります。今後は「どの領域で」「誰のために使われるか」という視点での競争が本格化していき、中国モデルの展開戦略が注目されると見られます。
そんな中、大手テック企業や自動車会社に代表される欧米企業は、中国市場でのAI戦略を現地製モデルとの協業へとシフトさせています。
特に欧州の自動車業界では、次世代車載AIにおいて、中国モデルとの連携が進められています。現地LLM導入を通じて使用者体験と規制対応の両立を図っており、自動車業界において現地AIとの協働がデフォルトになりつつあります。
これら欧米企業の動向は、グローバル企業が「本社標準の維持」と「中国市場への最適化」を両立する戦略を明示的に示しているといえるでしょう。
一連の動向を踏まえ、日本企業が中国市場に参入する場合は、主に以下のような戦略的対応が求められます。
1つ目は、規制対応面で国家インターネット情報弁公室(CAC)やMIITなどの中国当局との対話を通じたガバナンス整備と、現地法人における順法体制の構築です。特に生成AIモデル/生成AIサービス提供に関する届け出・登録プロセスを前提とし、PoCに組み込む流れを確立する必要があります。
2つ目は、中国製LLMとの戦略的連携です。現時点では、BaiduやAlibaba、DeepSeekなど複数モデルとユースケースに基づくPoCを実施し、中国国内事業変化のスピードに応じられるような用途特化型アプローチに基づく横展開が不可避でしょう。
3つ目は、グローバルAIとローカルAIを並行運用する“デュアルAI戦略”の採用です。本社基準を維持しながら、中国市場固有要件に適応したLLMの活用を両立させる構造が必要でしょう。
この他、現地スタートアップや総合大学との共創による技術・人材基盤の深化、及び政府主導のAIコンソーシアム参加を通じたエコシステム構築も重要かもしれません。
中国政府は、「2030年までにAIの国内総生産(GDP)貢献度を20%とする」との目標を掲げており、市場は年率20%超で成長を続ける見通しです。一方で現地企業からは、規制の不透明性や国産LLMの寡占による技術多様性の低下など、持続可能性への懸念も指摘されています。
総じて中国市場には、外資系モデルにとって高い構造的障壁が存在するといえるでしょう。しかし同時に、現地適応と協業を通じて参入障壁を克服すれば、巨大市場の成長機会を享受できる可能性もあります。
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