インタビュー
» 2018年05月02日 08時00分 公開

同じ「道の駅」なのに、なぜ売上格差が生まれるのか水曜インタビュー劇場(GW公演)(2/6 ページ)

[土肥義則,ITmedia]

当初の道の駅は、いまとは「別モノ」

土肥: 道の駅は1993年に誕生しましたが、当時はどのような反響だったのでしょうか?

守屋: いまから25年前、クルマを運転していて「トイレに行きたいなあ」と思っても、立ち寄る場所があまりなかったんですよね。「コンビニがあるでしょ」と思われたかもしれませんが、当時のコンビニにトイレを設置しているところは少なくて、休憩をするにはいわゆるドライブインのようなところしかありませんでした。一般道でも休憩ができて、トイレを自由に使えるところがあってもいいのではないか、ということで道の駅が生まれました。

 当初は、休憩場所だけでなく、地方の観光情報を発信したり、地元の物産品を販売したり、地域振興に役立てたり。そういったところが多かったのですが、その後、温泉を楽しむことができたり、何かを体験することができたり、といった具合に個性的な駅が増えてきました。例えば、「ウチは和紙の産地なので、和紙を使って何かができるスペースをつくる」といった感じで、他にはなかなかないモノができてきました。

 ワタシも取材の一環で、道の駅に足を運んでいたのですが、徐々にその魅力に取りつかれてしまって。「この駅にはなにがあるんだろう?」とお宝探しのように、巡るようになりました。ちなみに、いまではプライべートで年に200〜300駅を訪問しています。ミイラ取りがミイラになっちゃいました(笑)。

土肥: そのミイラさんに、話を聞かせてください。道の駅の看板を見ていると、「行政のニオイがぷんぷんするなあ」と感じるところもあれば、「民間のニオイが強いなあ」と感じるところもある。どういった人たちが運営しているのでしょうか?

守屋: 当初はハコモノ行政の色が強くて、「休憩する場所をつくりましたよ」といった感じのところが多かったんですよね。建物をつくったのはいいけれど、「そこでモノを売ってはいけませんよ」といったところもありました。「休憩する場所だから、野菜でも置いてみるか、土産物でも置いてみるか」といった形のところもありましたが、いまの道の駅と比べると、「別モノ」と言っていいほどの姿でした。

 ただ、地元の野菜などを売って、そこそこ売れているところが出てきたので、「じゃあ、ウチでも販売しよう」といった感じで、さまざまなモノを扱うところが増えてきました。

鳥取県の「道の駅大栄」で販売していた「いぎす」

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