――会社をクローズすることになった時にはかなり厳しいことを言われたのですか?
いや、それが失敗した時は何も言われなかったんですよね。担当役員に「もうこれ以上やっても厳しいんじゃない」と伝えられただけ。代表の藤田に何か言われるかな、むしろ言ってほしいなと思っていたくらいだったんですけど。反省させるとかは一切ありませんでした。
――サイバーエージェントのミッションステートメントには「挑戦した敗者にセカンドチャンスを」とありますが、そうしたカルチャーの表れということ?
それはあると思います。失敗を失敗と捉えさせない。でも、そのときに何も言われなかったのは、もしかしたら「本人が一番分かっているだろうから」というのがあったのかもしれません。当時の僕は、周りが「こいつ死んじゃうんじゃないか」と思うくらいに、見るからに落ち込んでいたと思うので。
――会社をつぶすという経験は、イケイケだった当時の合田さんとしてもやはり大きなショックだったんですね。
それはもう。Pitapatに続いて、2つ目にリリースした「Qixil」というサービスも失敗しました。でも、僕としては「また追加出資してもらって3つ目のサービスをやればいい」くらいに思っていたんです。だから「もう会社を継続できない」と聞かされたときは余計にショックでしたね。
それを仲間に伝えなければならないことが何よりつらかったです。僕自身も通っていた大学院を辞め、腹をくくって起業しましたが、それは彼らだって同じ。コアメンバー4人、インターン生を含めると15人ほどいたのですが、皆誰もが知るような大企業からの誘いを蹴って付いてきてくれていた。会社をつぶすのは、一事業部で事業をクローズするのとはわけが違うんですよね。解散せざるを得ないと伝えたときには、皆で泣きました。「ああ、これがリアルビジネスなんだな」って実感したのをよく覚えています。
――どうやってそこから再起したのですか?
Pitapatを閉じた後も、僕の中にはずっとマッチングアプリへの未練がありました。というのも、同じくらいの時期に出てきた「Omiai」や後発の「Pairs」といったサービスは順調に伸びていた。それを横で見るのがとても悔しかったんです。
この分野には他に先駆けて早くから目を付けていたし、プロダクトにも自信はあった。「もう少し続けていればうまくいったんじゃないか」「マネタイズモデルを見直せば良かったのかも」という心残りがずっとありました。それは単に競合が伸びているからというだけではなく、それこそが「ITを使って社会貢献する」という、僕が本当にやりたいことだと思っていたからです。
会社を閉じる前に、Qixilをやっている時からそれは上の人にも伝えていました。サイバーエージェントには「あした会議」という、経営陣を中心としたチームで、サイバーエージェントの「あした(未来)」につながる新規事業案や中長期での課題解決案を提案、決議する会議があります。
そこに僕が参加させてもらった時にも「マッチングサービスをやりたい」という話をしました。
代表の藤田をはじめ、担当役員は恐らくそのことを覚えていてくれたんだと思います。「今回の件で力もついただろうし、もう1回やってみないか?」と声を掛けてくれました。事業撤退してまだ3〜4日しか経ってなかったと思います。だから正直、悩んでいるヒマさえなかったのです。
――とても動きが早いですね。でも、合田さんからすれば渡りに船ですから、すごく嬉しかったのでは?
ただ、やはりもう同じメンバーではできないのだというのがあったから複雑でした。直前までやっていたQixilは親会社に譲渡という形になったので、当時のメンバーはバラバラになりました。またイチから僕一人でやるという不安と、メンバーに対する申し訳なさがあって、確か即答はできなかったんじゃないかな。
でも、1社目の会社をつぶしてしまって、本当に申し訳ない気持ちがあったので、こうやってもう一度チャンスをもらえたことに対して、きちんと恩返しをしたいと覚悟を決めました。
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