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余命1年を宣告され単身渡米 がんを乗り越え「2度の世界女王」に輝いたバックギャモン選手「泣いてる時間を努力に変えよう」(2/5 ページ)

» 2019年01月28日 07時30分 公開
[今野大一ITmedia]

「AIこそが世界最強の先生」

 4万円という金額は大学生にとっては安い金額ではない。それでも答えが分からなくてうずうずしている状態はストレスだった。

 「普段は高いものは買いませんが、買う価値のあるものにはお金を使うことにしています。AIを使えば、何が正解なのかが分かります。昔の人は正解が分からない中、手探りでやっていたので強くなるまでに、とても時間がかかりました。今はAIを使いこなせれば、始めたばかりの人でもすぐに強くなることができるので、AIは『世界最強の先生』だと思っています」

 こうして見る見るうちに強くなっていった。03年には、実際に人と対戦できる東京・新宿の店に出かけた。そこで後に日本人初の世界チャンピオンになる望月正行さんと出会う。実際にプレイしてみると、なんと第1戦目で望月さんに勝ってしまった。すると望月さんから「センスがありますね。僕が教えている東京大学のバックギャモン研究会に一度来ませんか」と誘われるようになる。

 会に顔を出してみると東大医学部卒で11年に世界チャンピオンになる鈴木琢光さんや、後に日本将棋連盟七段の片上大輔さん、12年にポーカー世界チャンピオンになる木原直哉さんがいた。研究会で学びながら、矢澤さんはバックギャモンの戦略性や奥深さを知る。

 半年後にはラスベガスの大会で初級に出場し、結果は準優勝。この悔しさから、本格的にのめり込み、始めてから約1年で日本タイトルを獲得した。試合は海外で実施されるため、飛行機代、宿泊費、大会参加費は自腹だ。だから大学4年生のときから任天堂のショールームで契約社員として働いた。

 海外の大会に出るには、日程調整が効く仕事を選ぶ必要があったからだ。ショールームでの仕事は6〜7日くらいは連続勤務ができたので、融通が利いた。任天堂はボードゲームやアナログゲームを開発していたこともあり、矢澤さんの活動に理解を示してくれたのだった。

phot 18年10月、矢澤さんの祝勝パーティーで祝辞を述べる将棋の森内俊之九段(左)
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