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“冬の時代”から始まった平成アニメ、いかに2兆円産業に飛躍したかジャーナリスト数土直志 激動のアニメビジネスを斬る(3/5 ページ)

» 2019年03月14日 06時30分 公開
[数土直志ITmedia]

「製作委員会」の功罪

 この状況を大きく変えたのが「製作委員会」だ。製作委員会は、複数の企業がアニメの製作資金と、ビジネスの役割を分担するシステムである。

 いまではよく知られた製作委員会だが、いつ始まったかを確定するのは難しい。84年(昭和59年)の『風の谷のナウシカ』や88年(昭和63年)の『AKIRA』で製作委員会は既に採用されている。TVアニメシリーズでは93年に放送された『無責任艦長タイラー』が初となった。さらに「冬の時代」を一気にひっくり返した95年の『新世紀エヴァンゲリオン』の成功が、製作委員会ビジネスの基盤を築いたとされる。

 しかし、当時のその仕組みは現在の製作委員会とはだいぶ異なる。製作委員会システムは平成の最初の10年間をかけて少しずつ変化し、形成されていった。

 確実に言えるのは、80年代に芽生えた製作委員会が、平成の時代にアニメの数を増やす原動力になったことだ。日本動画協会のデータによると、89年(平成元年)のTVアニメ制作タイトル数は77、2017年(平成29年)には340まで増えた。製作委員会はアニメーションの制作資金を放送局に頼らない調達方法として、積極的に活用された。同時に限られたファンをターゲットにしたOVAは、アニメのジャンルを極限まで広げた。

 さらにOVA作品の認知度を高めて宣伝する場として、平成半ばとなる00年代にOVAのビシネスモデルが深夜アニメに引き継がれる。TV放送を通じて作品のファンが子どもだけでなく上の世代にも拡大し、映像ソフトの売り上げ増加につながった。

 00年代半ばには、劇場映画も含めて新作アニメのほとんどが製作委員会で作られるようにもなった。平成アニメはまさに製作委員会の時代であった。

 現在この製作委員会に対しては、「決断が遅くなりがち」「作品がヒットしても制作会社側への利益配分が少ない」といった厳しい批判が業界の内外から寄せられている。しかし、こうしたアニメ制作数を増やす役割もあったことから、製作委員会は生き残ってきたと言える。

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