また、中学校では、定期考査の「クラス平均」を公表することもありますが、そうした情報がクラス同士の対抗心をあおり、時に、優越感や劣等感を助長している側面もあると思います。
生徒たちの間に、こうした意識が生じることの弊害は小さくありません。保護者の間では、担任の「アタリ」「ハズレ」が話題になることがあるようですが、「ハズレ」で「負け組」になった生徒は、どんな気持ちになるのでしょうか。
学年内にそんな格差や、残念な思いを持つ生徒を生み出さないためにも、固定担任制を廃止する意義は大きいと考えます。
正直に言えば、私自身、教員になりたての1、2年目の頃は、クラスを「勝ち組」にすることに一生懸命に取り組み、クラスがまとまることに喜びを感じていました。
自分のクラスさえまとまっていれば、それでよいと思っていたわけではありませんが、今思えば、他のクラスの生徒のことは、優先順位が低くなりがちでした。年度が替わって担任を外れた生徒から「工藤先生のクラスになりたかった」と言われたときは、恥ずかしいことですが、うれしかったのを覚えています。
そうした意識に変化が生じたのは、教員3年目のことでした。
私より7つほど年上の理科の教員と同じ学年を組むことになりました。実に尊敬ができる人で、考え方が柔軟、旧来型の学校教育を必ずしも良しとはしない感性をお持ちで、私とはとてもウマが合いました。
その人と学年を組むうちに、私は「この先生のクラスに勝っても全然うれしくない」と自覚するようになりました。当時、その学年は2クラスでしたが、両方のクラスをよくしたいという思いが強くなり、担任制の在り方について考えるようになりました。
もちろん、固定担任制を廃止しても、クラスという枠組みは残ります。しかし、本校では生徒たちの間で「勝ち組」「負け組」の意識は薄まり、隣のクラスと比較するような生徒もいなくなりました。そうした様子を見て、改めて、担任教員はクラスの象徴なのだとつくづく思います。
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