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日本社会から「単身赴任」がなくならない、根本的な理由スピン経済の歩き方(5/6 ページ)

» 2020年02月11日 08時00分 公開
[窪田順生ITmedia]

新人は地方支局で経験を積む

 普通に考えれば、海外のジャーナリストのように、その地域に根をおろして人脈を築いたり、専門性を磨いたりしたほうが取材者としてレベルアップするが、日本の新聞記者は2〜3年で配置が変わる。なぜこんな非効率なことをしているのかというと、最も重要な「ネタ元」である役人とより深いパイプを築くため、彼らのキャリアパスを真似たからだ。

 そんなデマを流すな、とお叱りを受けるかもしれないが、ならばなぜネットやSNS全盛のこの時代、海外のジャーナリストたちが首をかしげる「新人は地方支局で経験を積む」「2〜3年で配置転換」という謎のルールを、日本の新聞社だけが続けているのか。

 新聞記者という最先端の情報に触れる人たちが、いまだにこんな前近代的なワーキングスタイルをしているこの事実こそが、この国の働き方が「役人」をベースにして、100年以上前からほとんど変わっていないことの動かぬ証なのではないか。

 という話をすると、なぜ日本の役人は「転勤」が出世コースになったのかと首をかしげる人も多いだろう。いろいろなご意見があるだろうが、筆者はやはり「参勤交代」の影響が大きいと思う。ご存じのように、江戸幕府は地方の大名の力を奪うため、あるいは全国のインフラを整備するため、大名を定期的に江戸に呼びつけて、屋敷に住ませた。

 当然、自分の殿様に付き添って多くの武士たちが江戸に「単身赴任」をしてきた。その数がすさまじかったのは、江戸の人口分布が示している。女性に対して、男性がおよそ2倍。実はあまりそういうイメージがないかもしれないが、江戸は「単身赴任おじさんの街」だったのだ。

 そこに加えて、地方赴任を繰り返す役人のような「転勤族」のルーツもこの時代にはあった。代官と、その元で下級事務に従事した、武士身分を有する「手附」、そして町人や農民からリクルートされた「手代」である。東北大学大学院の高橋章則教授の書籍『江戸の転勤族』(平凡社)にもこうある。

 『江戸時代にこうした転勤族を求めるとすれば、江戸幕府のキャリア官僚である「代官」が思い浮かぶ。今日の地方支店の格付け同様に、代官所にもランクがあり、代官の転勤先は彼らの地位上昇をわかりやすく指し示す。したがって、地位の向上と将来の江戸暮らしの永続化を求める代官たちは地方の代官所勤務を通じて自分の支配能力を精一杯アピールする。出世スゴロクの上がりを目指して猛進するのだ』

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