――「でんぱ組.inc」は14年に武道館でワンマンライブを開催しました。そこに至るまでに困難なことはありましたか?
(※)【訂正】初出で質問者が13年に武道館でワンマンライブを開催としていましたが、正しくは14年でした。お詫びして訂正いたします。
ありましたね。これまでにないスタイルを取っていましたから、単純に受け入れてもらえない葛藤がありました。アート界隈からは「これはアートじゃない」、アイドル業界からは「これはアイドルじゃない」、アニメ業界からも「これはアニソンじゃない」と言われました。
「絶対ここに金脈が眠っている」と、なぜかメンバーもマネジメントも全員が自信だけはあったのですが、その自信が削られていく感じでした。
――以前「アイドルは、人を扱うビジネス」とおっしゃられていましたが、そのメンバーのモチベーションを上げるために、マネジメント面ではどんなことに気を付けましたか?
今思い起こすと、1回目の武道館ライブまでは外部からいろいろな批判を受けていたので、逆に全員が一枚岩になり仲間意識を持って臨めていました。
問題は2回目、3回目の武道館の時です。みんなの気持ちがいろんな方向に広がっていった感じです。一度、武道館という山場を一緒に乗り越えた後、そこからはみんなそれぞれ違う方向に気持ちが向いていきました。
武道館を経験するまでになると、協力してくれる人も集まってきていましたね。それまでいなかった人たちがワッと入って来て、そこで変わってしまった部分はありました。でも、最初の武道館までは、純粋に、全員が一直線に走っていました。
――それぞれ志向の異なるユニークな人材をマネジメントする上で、心掛けていたことはありますか?
当時、人を一つにまとめて、一丸にしていこうとは思っていませんでした。一生懸命過ぎてシンプルだったと思うんですよ。「売れるためにはこうしよう」と、ぶれずに一本の筋がありました。恐らくメンバーも嫌なことはあったかもしれませんが、ついて来てくれたのは、ずっと同じことを言い続けてきたからだと思います。
――どんなことを言い続けてきたんですか?
「絶対にこれはやっちゃいけない」「これは絶対にやろう」ということはチームのみんなで明確にしていました。
例えばしゃべり方一つでも、「この子はこういうことは絶対発言しない」とか。あとは、キャラクターを作っていく上で、「これは必要ない」「これは要る」という取捨選択です。あとは、でんぱ組.incでやりたいこと、をみんなで常に夢として語っていましたね。
――特に成長が見られたメンバーは誰ですか。
全員成長しましたね。その中でも一人あげると、夢眠ねむは、最初は裏方志望で、アイドルにすらなりたくなかった子なので、よくやってくれたと思います。本当はクリエイター志望なのに表に出してしまったのですが、「でんぱ組.inc」のクリエイティブが好きでいてくれて、自分が「でんぱ組.inc」のアートワークを伝えて行くんだ! という大きな役割を担ってくれていましたね。
――「でんぱ組.inc」は女性にも人気がありますよね。そこはどう分析していますか?
メンバーのスタイル、楽曲のテイストもあって、ありがたいことに、「アイドルは嫌いだけど、でんぱ組.incは好き」という女性は多かったです。当時のアイドルシーンは成熟していなくて、多様性もそこまでなく、大きく3つぐらいの分類でした。当時「等身大の自分を、自分の言葉を話すアイドル」は、いなかったと思います。そこには敵がいなかった。
――なぜ女性ファンの心に刺さったと思いますか?
多くのアイドルが若過ぎて、自分の言葉をまだ持っていない中、「でんぱ組.inc」は等身大ではあったけれど、自分の言葉で伝えるアイドルでした。挫折を経験したことがない子たちがアイドルになっている一方、でんぱ組は年齢的にもかなり上でしたから。
当時のアイドルに、何かで挫折している人たちの集まりは、あまりいなかったように思います。基本的にアイドルは「選ばれし者」。幼いころから可愛くて、歌がうまくて、ダンスができてというように、当たり前ですが「選ばれた人たち」がアイドルになっていました。
一方のでんぱ組.incは、若くもないし、歌もダンスも上手とはいえません(笑)。何もかも持ってないことが逆に武器となり、普通の女の子たちには響いたのかもしれません。
――具体的にどんなポイントが刺さったと?
「でんぱ組.inc」は等身大で、うそがなく、何かで挫折を経験しても頑張っているところでしょうか。
今は、こういうストーリーがデフォルトになってあふれていますが、当時は「でんぱ組.inc」が唯一だったと思います。
そういう意味で、また「当時は」がつきますが、アイドル業界で金髪は「最上もが」しかいなかった。それぐらいアイドル業界には何もなかったんです。だから、正直、アイドル業界では勝てるとは思っていました。
どこもこういったコンセプトを打ち出していなかった。ファッションの視点からも誰もオシャレな服は着ていませんでした。みんな制服のような衣装か、いわゆるザ・ステージ衣装でしたね。
――当時のアイドル業界は、まだ画一的だったということですね。
非常に画一的でした。オシャレな服を着てステージに立つアイドルがいなかったんです。ちょっとオシャレにするだけでも、「あのアイドルオシャレだぞ」と言われ、自分の言葉で話していると「あのアイドル自分の言葉でしゃべっているぞ」と言われました。恐らく物珍しかったんだと思います。
本当に敵がいない時代でした。アイドル業界がやっていないことはたくさんあって、やっていないことをやることで勝てる状況、完全にブルーオーシャンでした。「でんぱ組.inc」がアイドル業界初というのはかなりやったと思います。やり尽くしたかもしれません(笑)。
以上が福嶋さんへのインタビュー内容だ。
商品やサービスの戦略を立てる際に用いられるSWOT分析(内部環境:強みStrengths、弱みWeaknesses、外部環境:機会opportunities、脅威Threatsを鑑み、より有効なビジネス戦略を立てるフレームワーク)。福嶋さんの取り組み、戦略を、後視方的にSWOT分析にあてはめると興味深い。
特に、外部環境:機会opportunitiesに、「秋葉原」×「ファッション」を持ち込むことで、当時なかったアイドルビジネス上でブルーオーシャンが存在すると判断した点は秀逸だ。
新たなマーケットの存在を見いだす意味だけでの成功ではない。福嶋さん自身の体験や経験、「でんぱ組.inc」自体が持つ魅力、「内部環境:強みStrengths、弱みWeaknesses」の分析も、当時の最適、最善の戦略だったように思える。
後編では、急速なIT化、SDGsやESGの浸透、コロナ禍。これらの外的環境の変化を迎えた世界における新たなアイドルビジネスについて聞く。
柳澤 昭浩(やなぎさわ あきひろ)
18年間の外資系製薬会社勤務後、2007年1月より10期10年間に渡りNPO法人キャンサーネットジャパン理事(事務局長は8期)を務める。科学的根拠に基づくがん医療、がん疾患啓発に取り組む。2015年4月からは、メディカル・モバイル・コミュニケーションズ合同会社の代表社員として、がん情報サイト「オンコロ」コンテンツ・マネージャーなど多くの企業、学会などのアドバイザーなど、がん医療に関わる様々なステークホルダーと連携プログラムを進める。「エンタメ×がん医療啓発」を目的とする樋口宗孝がん研究基金、Remember Girl’s Power !! などの代表。
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