世界に誇る人気漫画『DRAGONBALL(ドラゴンボール)』。作品が世に出た1984年以降、累計の経済効果は2.5兆円以上といわれ、日本の漫画作品史上で1位となっている。作者の鳥山明さんの才能を見いだし、前作の『Dr.スランプ(ドクタースランプ)』と共に編集者として世に送り出したのが『週刊少年ジャンプ』元編集長の鳥嶋和彦さんだ。
その鳥嶋さんが集英社から初めて本を出した。『Dr.マシリト 最強漫画術』というタイトルで、半世紀近い漫画編集者のキャリアの集大成となる哲学が詰まっている。
本の出版を記念する形で、8月に開かれた世界最大の同人誌即売会「コミックマーケット(コミケ)102」でトークイベントが開催。「同人誌vs商業誌〜壇上に出会いを求めるのは間違っているだろうか〜」と題して鳥嶋さんと、本の構成・執筆を担当したコミケ初代代表の霜月たかなかさん、コミケの共同代表の一人で、漫画出版社の少年画報社取締役の筆谷芳行さんの3人が登壇した。司会は『Dr.マシリト 最強漫画術』の編集担当である集英社の齋藤征彦さんが務めた。
壇上では商業誌における作家への向き合い方を巡り、鳥嶋さんと筆谷代表という2人の漫画編集者がその考え方を議論。鳥嶋さんがデータに基づいて鳥山明さんを説得し、則巻アラレを主人公にさせたという『Dr.スランプ』誕生秘話を語る場面もあった。なお、イベント中での発言は全て「個人の見解」だ。前編、中編に続き、お届けする。
筆谷: 私見ですが、鳥嶋さんがやられていたような『ジャンプ』編集部の考え方って、漫画を描いている人の1を100にするシステムだと思うんですよ。鳥嶋さんは漫画を描く作業を「0から1を作る」とおっしゃいましたけど、漫画を描く楽しみというのを『少年ジャンプ』が教えることは難しいと思うんです。
漫画を描く第一歩の部分である「0を1にする」のは、霜月さんがおっしゃったようなまねごとの落書きから始まって、漫画好きが集まってサークルを作る、または中学校や高校、大学の漫研に入って仲間作るという道をたどるのではないでしょうか。描くものも、それこそ僕は二次創作でも何でもいいと思っています。そして自分の作ったものを分かち合える仲間を作る。こうやって描く楽しみを見いだすことで、0が1になっていくのだと思います。
その中から「もっとうまくなろう」「もっとこれを仕事にしていきたい」という人が現れたら商業誌の扉をたたけばいいと思いますし、その際に編集者が導いてあげるのが理想かなと思います。
今回のトークイベントのテーマである「同人誌vs商業誌」というところでいっても、1990年代以降は同人誌作家と商業誌作家の境界線が消失してきています。恐らく70年代から80年代ぐらいまでは、基本的には商業誌で新人賞などを取って、受賞後に連載を持ってデビューする流れが一般的でした。
これが今だと、同人誌やネット上の発表済作品が編集者の目にとまり、デビューする流れも珍しくありません。こうなると、どこがデビューなのかが明確には分からなくなってきた。かなりボーダーレスになってきています。
漫画を描く人だけがプロというわけでもなくなってきました。有名な作家さんの中でも、漫画の代表作がないけれども、ライトノベルの挿絵を描いていたり、キャラクターデザインを活動の中心にしていたりする人も結構多くなりました。それだけ漫画的な表現をお金にするルートがたくさん増えたともいえます。僕はすごくいいことだと思います。
鳥嶋: それで言うと、「漫画を描く楽しみ」でプロになった作家が増えると、ものすごく困るんですよ。なぜ困るかというと、そういう人たちは、読者からお金をもらう、そのことによって生活が成り立っているという意識が、ちゃんと腹の中に落ちていないからです。具体的に支障が出るのは、編集者からの修正をきちんと反映する点や、締切を守るという点ですね。雑誌に載るということは、経済原則に従って読者が払ってくれるお金があり、書店流通のシステムを含めて印刷所があって実際に動いていることを意味します。その現実が頭にないんですよ。
プロになることで、自分が描きたいものが描けなくなる。直しを指示されて、読者の支持がなくなっていくと、そこから何が始まるか。それは自己弁護とサボりです。
筆谷: それは良く分かります。
鳥嶋: 結果、やっぱり編集部員がちゃんと作家をコントロールできない事例が増え始めるんです。ちゃんと編集者が真ん中に立って、きちっと目の前の作家に「ノー」を言ったり指導ができたりする編集だけならいいんです。だけど、現実はそうじゃない。感想レベルのことしか言えなかったり、初代担当ではなく引き継いだ作家だったりすると、それができなくなるわけです。
そうすると何が始まるか。商業誌に籍を置きつつ、休載する作家が増え始めるんです。それが起こると「毎週描かない作家がいるじゃないですかと、なんで休ませてくれないの」と連鎖していきます。でも読者からすれば、どう見えるか。好きな漫画が載っていない号と載っている号があって、知らないで載っていない号を買うことになる。そうすると、ものすごく怒るわけですよ。
やはり一定レベルの品質の雑誌を、毎週きちんと届ける義務が、出版社と編集部と編集者にはあるのです。その中で、プロとして仕事をしてほしいわけですよ。趣味で始めたとしても、お金をもらって仕事をした段階でプロなんです。この意識を、作家として持てない人にはこの業界から去ってほしい。いなくなってほしい。邪魔だから。
漫画を描く仕事は、趣味じゃなくて仕事なのです。その境目のところを、明快に僕は自分の作家にきちんと伝え、分けてきました。
筆谷: 例えば商業誌を休んでいる間、同人誌の原稿を描いているのは、僕はNGだと思うんですよ。だけど多くの場合、商業誌で休載している理由は同人誌をやっているからではなく、単に続きが描けなくて悩んでいるからなんですよね。もちろん、そういう悩んで休載するところも含めて、鳥嶋さんのおっしゃる通り、プロの商業誌の作家としていいのかというところもあるとは思いますが。
でも、そういう悩んでいる作家さんに、活躍できる場を用意してあげるのも編集者の役割だと思うわけです。もちろん毎号、欠かさず載っているに越したことはないわけです。でも、それだけでは、その枠に収まらない作家さんがいるのも確かです。
鳥嶋: 多様性のあること自体は否定しません。ですが「売れるからいい」ということで全てを済まされると困るんですよね。何でもそうですけど、やっぱり商業というシステムの中で運営されているものですから。必ずお金がやり取りされるものですから、そこに関してはやっぱりアンケートのシステムも含めて、きちっと原理原則に従い、フェアに運用するべきです。ここが崩れると、漫画を毎週ちゃんと作って、一定品質のものを読者に届けられなくなるんですよ。
休載の話が出ましたけど、それってやっぱり本当の意味で編集者がちゃんと作家に対面していないから起こることなのです。原稿の遅い作家は、筆が遅いんじゃない。漫画を描くスピードはみんな一緒なんです。絵コンテのところ、話を作るところで迷って、完璧を期そうとするあまりに時間を忘れちゃうわけですね。
これをちゃんとコントロールして、一緒に作業をするのが編集者の役割なんです。ところが昨今の編集者は、作家性を尊重するといって編集権を放棄している人間が多いので、一緒に物を作れない。そのことを僕は、同人から始まる作家性とか、描く楽しみとかいうことで、一緒ににして流してほしくないと思うんですよね。
筆谷: 誠に耳が痛い。おっしゃる通りなんですよね。本当に。
鳥嶋: ただやっぱり思うのは、何かを描くということや誰かに伝えたいという思い自体は、商業誌も同人誌も一緒だと思うんですよ。それをどういう形で、どれだけの数に届けるかということで、同人誌と商業誌が分かれてくる。やっぱりね、僕はいつも才能がある人には厳しく対峙してきました。なぜか。作家本人が思っていたり、今描いていたりするものより「もっとこの人は面白いものを描ける。もっとたくさんの人に届けられる」と思ってきたからです。
そのために打ち合わせがあり、編集者が作家をよく知り、厳しく仕事をすることの意味があるんですよ。例えば『Dr.スランプ』の主人公は、皆さんも知っているように則巻アラレです。だけど、当初の鳥山さんの絵コンテでは、アラレは第1話しか出てこなくて2話以降では出てこなかったんですよ。もともと発明家の則巻千兵衛を主人公に毎回、発明品で失敗するというストーリーで、アラレは1話の発明品という設定でした。
それを僕は「いや、この女の子が魅力的だから出してよ」と言ったわけです。これに鳥山さんは「いや少年誌だから女の子は描きたくない」と言ったのです。このとき僕が鳥山さんの作家性を尊重していたら、皆さんは則巻アラレに出会っていないわけです。
アラレを主人公にしてもヒットする確信が僕にはありました。鴨川つばめさんの『マカロニほうれん荘』や江口寿史さんの『すすめ!!パイレーツ』といったパロディ漫画の流れがあったので、鳥山さんのアラレという女の子のキャラは「今の時代に受ける」と思ったわけです。
僕は編集者として賭けをしました。女の子が主人公の読み切り漫画『ギャル刑事トマト』を増刊に載っけてもらって、これがアンケートで3位以内なら僕の言うことを聞いてアラレを主人公にする。4位以下なら鳥山さんの言うことを聞いて則巻千兵衛が主人公のままでいいよ、と鳥山さんに提案しました。当然僕は、読者の流れを知っているので3位を取り、無事アラレが主人公になったんですね。
こういう点に、商業誌における編集者の役割があるわけです。読者がどこにいて何を望んでいるか。それをちゃんと知った上で、作家が持っているものを最大効率で引き出して読者に伝える。この橋渡しするのが編集者なんです。商業誌ってそういう意味では、僕らが見ている才能を最大限、多くの数に伝えたいという作業なんです。
筆谷: 締切という点でいうと、同人誌の場合は大きく言って、夏のコミケと冬のコミケが締切なんですよ。そこに合わせて多くの同人作家が新刊を上げてきます。じゃあ編集者的な役割をするのは誰なのか。それは事務的にはもちろん自分がやるわけですけど、買いに来てくれる読者さんも編集者としての役割があるんですよね。
意外とサークルの人って、毎回買いに来る人の顔を覚えています。そのときの一言の感想って、商業的に編集者が言う言葉とニュアンス的にはかなり近いんじゃないかなと思うわけです。そうすると同人作家さんも、いつも来てくれる人を裏切れないから、ちゃんと新刊を出すようになります。
鳥嶋: それでいうと、新人漫画家との打ち合わせの時に「鳥嶋さんは分からないっていうけど、ここはこういう意図でこういう意味で描いているんですよ」と説明を受けることがあります。そういう時に僕は必ず「君ね、『ジャンプ』が何万部売っているかを知っている? その全員に今言った説明を君はできるのか」と言います。
漫画というのは、見てくれた読者に、過不足なく、分かりやすく伝えるための媒体です。そのためにテクニックがある。だから、分からないところは分かるように描くのがプロじゃないか。それが僕の意見です。
筆谷: 王道でメジャーなエンターテインメントにおいては、全くおっしゃる通りなんですよ。ただ僕は商業誌の方でも、王道じゃない漫画があってもいいと思っています。料理で例えると、やっぱりいろんな味があっていい。一方の同人誌でも、描き手さん、作家さんが本当に自由で好きなことをやっていいと思います。
商業誌の作家さんでも、それこそ同人誌で5人や10人にしか受けない作品を描いてもいいと思っています。同人誌の作家さんでも、受ける人は増えれば増えるに越したことはない。もっと増えるんだったら、商業誌でやってくれた方がいいとも思います。でも、両方ともやってくれるのが一番いいと思うんですよ。
齋藤: おそらく鳥嶋さんは、作家全員を鳥山明先生にしようとしているんですよ。鳥山先生より、もっと売ろうとしている。だからちょっとわれわれと感覚が違うところがあるのだと思います。先日の鳥嶋さんが出演したラジオに、桂正和先生も出られていたのですが、そこで鳥嶋さんが「俺が担当していたらもっと売れていたはずだ」という話をするわけです。あれだけ売れている作家さんに対して。今日の話も、全部漫画を描かれている方々が鳥山先生になるためには、という話をしているわけです。
だからちょっと腹落ちしなかったり、理想論を語ったりしているなと思うかもしれません。ですが、これがないと鳥山先生も生まれないし、理想を追うことで、その途中までたどり着けるんじゃないかという考え方だと思います。そういう優しい目で鳥嶋さんを見ていただけたらと(笑)。
鳥嶋: やっぱり、編集者の役割って、目の前の才能の評価と育成なんですね。それをどれだけちゃんと愛情と関心を持って見ているかによって、作家に対する厳しさが違ってくるんですよね。プロ野球のピッチャーに例えれば分かりやすいんですけど、時速150〜160キロのスピードボールを投げられるかどうかは、素質なんですよ。一方、変化球を覚える、コーナーワークを覚える、組み立てを覚えるといったことは、あとで頭の作業でできるので、編集者が教えられるんです。だけど、スピードボールの投げ方自体は、教えられない。
ということは、作家って天性のものだということですね。その作家が持っている才能をどれだけ大事に思って、20勝投手とか、メジャーリーグに行くようなピッチャーに育てられるか。やっぱり僕らはそこに関心があるわけです。だから、才能に対しての関心があるかどうか。そして今言った厳しさだと僕は思っています。
霜月: いま筆谷さんが言ったように、コミケが夏と冬の年2回開かれるようになったことで、ある種の締切のようなものができてしまった。コミケに合わせて同人漫画を描く流れができてきたわけです。
ただ、その成果物を見ると、プロとアマチュアでは全く質が違います。多くの同人誌は、半年に1回のものでも、アマチュア漫画家が描いてくるのはペラッペラの20〜30ページの同人誌です。それを、ぜいぜい息を切らしながら「締め切りに間に合いました」といって参加する人もいる。
もちろん、アマチュア漫画家というのは、大学生だったら大学に行かなきゃいけないし、他の職業を持っている人は仕事の合間に描いているわけです。そういう意味ではプロには敵わないかもしれないが、それにしてもレベルが低いのではないかとも思うわけです。しかも描いている内容も、別に壮大な物語でも何でもなくて、自分の日常を描いたエッセイ漫画だったりします。
僕は先ほど二次創作、同人誌は商業誌に負けたと言いました。そこには結局プロの漫画家の覚悟みたいなものがあると思います。その意味でアマチュア漫画家は、負けざるを得ない側面を持っている。そこだけは自覚しておかないと、結局コミケがただの遊びの場になってしまって、漫画という表現が、その後ろに置かれてしまう。これも個人的な意見ですけど、悲しいなと思います。
筆谷: プロの漫画家になるということは、昔は職業の選択だったんですよ。「オレは漫画家になって生涯の仕事としてお金を稼ぐぞ」という決意のもと、一歩を自分の意思で踏み出すんです。でも近年は僕の周りを見ていても、例えば「同人誌に描いていたら商業誌の人に声をかけられた」「Twitter(現X)で絵や漫画をアップしていたらスカウトされて単行本にしませんかと言われた」といったような受動的な流れが増えています。
そこから商業誌で仕事をしていくうちに、ゆっくりとスイッチは入っていくのだと思いますが、それこそ、れっきとした覚悟、不退転の決意というのは、あまり見えなくなったなと感じます。
鳥嶋: それはね、描き手の問題より、出版社サイド、編集部サイドの問題が大きいと思いますよ。才能をそこに認めたということは、それを単にイージーに利用することではありません。才能をもとに、それを最大化して、たくさんの人にこの要素を伝えるにはどうしたらいいか。それを考えなければなりません。
そのための編集者なわけですから単に作家をスカウトして、そのまま漫画を載せるのは編集者の仕事じゃないんですよ。そういう意味では、編集者がイージーに描き手の才能をつまんだり、利用していたりする側面があるんじゃないかと思います。
齋藤: それこそ媒体も増えて出版社、編集者も増えていますしね。描き手の皆さんも増えています。業界自体がすごく大きくなってきている事実もあると思います。
筆谷: 鳥嶋さんがいまおっしゃっていることって、50代後半の僕でもかなり響いてきます。20〜30代の編集者が聞いたら泣きますよ、きっと。
齋藤: そうですね、本当に厳しいと思う。
鳥嶋: だから『Dr.マシリト 最強漫画術』でも、僕があとがきで書きましたが、はっきり言って今、漫画・アニメにバブルが起きていると思うんですよね。単にお金がもうかるという理由だけで、出版業界じゃない企業が漫画に参入するようになっています。電子書籍によって、以前と違って出版社にならなくても漫画を出せます。取次も印刷会社も書店もいらない。だからイージーに入ってくる例も少なくない。
そういう人たちや会社が、漫画に参入する一つの理由は、漫画がヒットするから、簡単だから。でも、こういう理由から入ってきてほしくはないんです。漫画という文化が何十年にわたって続いてきているのは、ひとえに漫画を描いてきた才能とそれを支持してきた読者、特に子どもたちの思いがあるからなんですよ。ここでつまみ食いをされて、才能と読者の育成にお金をかけず、単に目先のものだけを売っていたら、5年後10年後にどうなっているか。恐らく惨澹たるものになっていると思うんです。
これはいま新規参入しているところだけじゃなくて、それこそ50年60年やってきた出版社にもいえる。ちゃんと漫画で儲(もう)かったお金を、読者から預かったお金を、正しく漫画業界に返しているか。ここなんですよね。そういう意味でいうと、出版社が本当の意味で作家を大事にしてこなかった事実があると僕は思っています。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング