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京都「100年企業」が着物アパレルに挑戦 HYDEコラボのブランド「WaRLOCK」の狙いは?「日本橋三越本店」でイベント開催(1/2 ページ)

» 2024年10月16日 07時06分 公開

 帝国データバンクによると、100年以上続く老舗企業は日本で4万3000社以上あるという。そして世界の創業100年企業の半数以上を日本企業が占めている (日経BPコンサルティング・周年事業ラボの調査)。中でも、国内で最も多くの老舗企業が存在する“集積地”は京都府だ。

 その京都で明治末期に創業し、100年以上の歴史を持つ着物企業「小田章」(odasho)が、異業種とのタイアップ戦略を続けてきたことは前編記事【着物の「脱恐竜化」目指す 京都の老舗「小田章」5代目が語る、120年目の事業転換】でお伝えした。同社は2023年、人気ロックバンド「L’Arc-en-Ciel」のhyde(ソロではHYDE)とコラボしたファッションブランド「WaRLOCK」(ワーロック)も立ち上げている。着物をはじめとする和装を現代に進化させ、日本だけでなく海外にも訴求する構えだ。

photo HYDEとコラボしたファッションブランド「WaRLOCK」(ワーロック)を立ち上げた(以下、小田章の提供写真)

 11月17日にはイスタンブールで開かれるイベント「日本×トルコ 国交樹立100周年記念JAPANESE FASHION 〜KIMONO & APPAREL〜SHOW 2024 TURKEY」に参加。同イベントではISSEI MIYAKEやYOHJI YAMAMOTOといった日本を代表するハイブランドと肩を並べて、WaRLOCKもファッションショーに挑戦する。

 11月25〜26日にはHYDEのワールドツアー「HYDE [INSIDE] LIVE 2024 WORLD TOUR」の米ニューヨーク・ブルックリン公演に合わせて、同じくブルックリンでWaRLOCKのポップアップストアを出展。東京では12月4〜10日に、呉服の権威「日本橋三越本店」でイベントを開催する。

 HYDEとのつながりは、2015年に亡くなった金子國義画伯との長年にわたる親交がきっかけだ。京都の100年企業は、なぜこのタイミングで着物アパレルを展開するのか。前編に続き、小田章5代目の小田毅社長に聞いた。

photo 小田毅 小田章/京呉館 代表。1969年7月、本能寺跡地に生まれる。龍谷大学を中退後、渡米しサブカルチャーを学ぶ。1992年に小田章入社。2002年、東京国際フォーラムにて高城剛プロデュースの【キモノドライヴィン】で「金子國義のゆかた」を発表。2007年、映画「舞妓Haaaan!!!」の衣装制作・協力。2008年に小田章の代表取締役に就任。2010年、hide (X JAPAN)コラボブランド「hide×odasho HI-HO!」「WAFRICA KIMONO」「ドン★きもの」を発表。2019年、美空ひばり昭和のキモノ展「#唄うキモノ」を日本橋三越本店で開催。2022年、アゼルバイジャンとトルコで着物ファッションショーを開催し、平安神宮HYDEコンサート「せっかくやし京都」を主催。2023年にHYDEとのコラボアパレルブランド「WaRLOCK」を発表

HYDE「もっと気楽に着れる着物はないの?」 平安神宮ライブがきっかけ

 小田章は2002年、金子國義画伯とコラボした「金子國義のゆかた」を発表した。金子画伯との出会いを、小田社長はこう振り返る。

 「金子先生とは、先代で父の小田憲の時から付き合いがありました。ある日、父の代わりに僕が金子先生を接待することになったんですね。当時、私は『ジュサブロー着物』以外に新たなブランドを立ち上げなければと考えていました。金子先生と親交を深めていくうちに、浴衣でコラボする話を持ちかけたんです。2000年ごろの話です」

 コラボ浴衣は、金子画伯に付きっきりで制作した。当時はPCを使ったデザインはまだ一般的ではなく、浴衣の型紙をベースに、意匠の拡大と縮小コピーを繰り返して貼り付けていく作業が続いたという。

 「ある時、2週間くらい先生が京都に滞在して、制作に取り掛かっていた時期がありました。先生は完全に夜型の人だったので、とても大変だったのを覚えています。ブランドを立ち上げようとしたことを後悔したほどでした(笑)。ただ金子國義コラボのブランドは『金子國義のゆかた』だけでなく、2006年に『金子國義のきもの』として着物でも展開し、20年以上たった今でも続いています。金子先生が亡くなって以降も、息子さんであるSTUDIO KANEKOの金子修代表との親交が世代を越えて続いていて、ビジネスの常識では測れない関係になっています」(小田社長)

photo 約25年前に撮影した金子國義画伯(左)と小田毅社長
photo 金子國義画伯が描いた小田毅社長。京都・祇園のスナック「しゃれーど」(現在は閉店)にて

 金子画伯の出会いを元に、思わぬミュージシャンと長年にわたって親交することになる。それがHYDEだ。HYDEは生前から金子画伯にアルバムジャケットの制作を依頼するなど芸術家として深い尊敬の念を抱いており、金子修代表とも長い親交があった(関連記事【HYDEが心酔した画家・金子國義 美術を守り続ける息子の苦悩と誇り】を参照)。

 「HYDEさんに初めてお会いしたのは2002年の時です。ソロ活動で京都にお越しになった際に、金子修代表に紹介してもらいました。HYDEさんとは同年代ということもあり、以来20年以上にわたって親交が続いています」

 この出会いから、小田章とHYDEとの関係も始まった。例えばHYDEがステージ衣装として和をイメージした着物などを着用する際、舞台衣装も提供している。2021年7月31日と8月1日に京都市内の平安神宮で開催したライブ「20th Orchestra Concert 2021 HYDE HEIANJINGU」では、小田章がステージ上の着物を全面的に貸し出すなど、舞台衣装面を全面的にサポートした。この公演がきっかけで、新たな話が浮上する。

 「ライブが終わったころにHYDEさんが『もっと気楽に着れる着物みたいなのないの?』と言ったんですね。着物といえば、どうしてもハレの日に着る正装のイメージがあります。その概念を覆して、もっとカジュアルに着崩せる、和のコンセプトの衣服をやろうという話になりました。これがWaRLOCKの始まりです」

 WaRLOCKは「『和』をロックする」という意味を込めて命名した。これには「warlock」(ウォーロック)という欧州の物語で登場する男性の魔女キャラクターも重ねているという。一方で「warlock」には「戦争を封じるもの」という意味もある。

 「『WaRLOCK』の『R』の文字は反対(Я)にして表記しています。ここには『warlock』、つまり戦争反対という意味も込めています」

photo ハレの日に着る正装ではなく、カジュアルに着崩せる和のコンセプトの衣服。それがWaRLOCKだ

 WaRLOCKでは、着物という呉服を進化させることにこだわった。小田社長は、現在の着物への問題意識を話す。

 「着物は時代を経るにつれ『こう着なきゃいけない』といった作法がどんどん強くなり、現代的なファッションとは程遠い存在になってしまいました。着物はすっかりおしゃれなものではなくなり、現に普段着として着物を着る人はほとんどいなくなっています」(小田社長)

 伝統や作法が強調されがちな着物でも、実は意外と歴史がないものもあるという。

 「例えば、女性着物の『おはしょり』は、もともと屋内で裾を引きずって歩いていたものを、外出する際に裾を上げるために始めたものです。今ではこの『おはしょり』は何センチなど、細かい決まり事がありますが、実はこれらは明治期以降になって成立したものです」(小田社長)

 着物の着方一つでも、時代と共に移り変わる。ところが着物は決まり事の部分ばかりが強調されるようになり、進化するファッションからは取り残されているのだ。

 「私はこの令和の時代に、もう一度着物をファッションとして進化させたい思いがあります。これこそがWaRLOCKを通して挑戦したいことなのです」

 こうした課題意識から、WaRLOCKでは羽織(HAORI JACKET)と、袴(HAKAMA PANTS)を基軸にしている。一般的な着物は「オートクチュール」(高級仕立服)と呼ばれるもののように、上下共に全て同じブランドでそろえるのが一般的だ。だがWaRLOCKでは、セパレートに着崩したスタイルを提案している。例えば上半身はHAORI JACKETに対して、下はジーンズやジャージを履けばいいのだ。一方で上半身は、Tシャツやトラックジャケットなどに対し、下はHAKAMA PANTSといったように、和装で統一せず、他の衣装との組み合わせも志向している。こうした特徴から、WaRLOCKは着物を進化させたアパレルブランドのような形を取っているのだ。

 「あくまで和服をベースにした服装を、現代ファッションと気軽に組み合わせられるようにするのが狙いです。従って『和洋折衷』とは少し考え方が異なりますね。着物を令和の時代に進化させたらどうなるのか。これをコンセプトにしています」

 こうした狙いから、WaRLOCKでは今後、和装に関心のある外国人にも訴求していきたいという。

 「2019年ころ、日本ではスーパースターのHYDEさんが、米国の多くのライブハウスを回るツアーをしていました。その『挑戦する姿』に経営者として強い刺激を受けました。HYDEさんの背中を追いかけ、その情熱に感銘を受けたのです。WaRLOCKのデザイナーでもある人形師の木村ノブユキさんと30年前に出会ったのがブルックリンでした。当時2人で約束した『ニューヨークへリベンジする』機会を今回、11月のHYDEさんのニューヨークでのライブに便乗して、果たす機会を得たのです。30年前には私も木村さんも、手も足も出せなかったリベンジです」

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