ピーク時の3分の1まで低迷 「スッパイマン」を15億円企業に復活させた”意外性戦略”(3/5 ページ)

» 2026年06月03日 07時30分 公開
[長嶺真輝ITmedia]

「沖縄で食べた」 木村拓哉さんの一言で全国区へ

 当初は、1粒10円のように粒単位で販売していたが、単価を上げるために現在のパッケージ売りに転換。さらに、沖縄県内だけではすぐに市場が頭打ちになるため、1990年代からは食品展示会に参加するなどして県外市場の開拓に乗り出した。信治氏を先頭に、長男で現会長の上間政博氏(2代目社長)、次男の上間社長も同行し、親子で営業した。

 しかし、当時は「沖縄に売るものなんかないでしょ」と冷ややかな反応を受けることもあった。3日間の展示で受注額は10万〜20万円程度。渡航費などを考えると完全な赤字だった。

 ただ、それでも出展し続けた。やがて、この行動が大きな意味を持つことになる。

 転機は2000年。生放送の音楽番組で、俳優の木村拓哉さんが司会者から「今年の夏の思い出は?」と聞かれ、「沖縄で食べたスッパイマン」とコメントしたのだ。すぐに消費者や問屋から問い合わせが殺到。情報番組や雑誌でも取り上げられ、次の展示会では受注額が3000万円規模に急拡大し、一気に販路が広がった。

「スッパイマン 甘梅一番」。「種あり」と「種なし」がある(画像:筆者撮影)

 それまで1億円ほどだった年商は、3億円、5億円と右肩上がりに伸び、ピーク時には10億円を超えた。地方の小さなメーカーが急激な需要増を取り込めたのには、理由がある。

 「展示会に出続けていたことで、量販店が『あの時の展示会に出ていた商品だ』と気付き、すぐに問屋経由で連絡をくれたんです。こういった動線がなければ、商流に乗る前にブームが終わっていたかもしれません。点と点が線でつながる感覚を初めて経験しました」

 ちょうどこの頃、20代前半で家業に合流したばかりだった上間社長。その前は大阪のアパレル店に勤め、わずか4坪の店舗で月商1000万円を達成したこともある。上間菓子店ではECなどを担当しながらアパレルの法人を立ち上げ、事業運営のノウハウを積み重ねていった。

 2008年と2009年には沖縄県立高校の写真部、デザイン部とコラボ企画を実施。「スッパイマンを食べた人の酸っぱい顔写真展と、スッパイマンTシャツの制作販売を行いました。アメコミ風のヒーローは、この時にデザイン部の学生が描いてくれたものです。これらの企画は多くのメディアが取材してくれて、意外性が関心を呼ぶことを実感しました」と振り返る。

 他ジャンルとコラボすることで、ブランド価値が引き上げられる。後の飛躍のヒントとなる原体験だった。

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