同僚がどれだけの文字量をAIに読み書きさせ、いくらのコストを費やしたかが「実名と金額」でリアルタイムに共有される──。LayerXは全社員のAI利用額の可視化に取り組む。共同代表の福島良典CEOの利用状況までが、実名と金額で公開されている。
他社に先駆け、生成AIのコスト管理における透明性を追求するLayerXだが、不思議と現場が萎縮することはなかったという。
単なる「経費の締め付け」ではなく、社員の挑戦を後押しする仕組みを、どのように作り上げたのか。同社で人事領域を率いる石黒卓弥氏(執行役員 CHRO)に、最先端の組織マネジメントの裏側を聞いた。
石黒卓弥 (いしぐろ・たかや)LayerX 執行役員 CHRO。新卒でNTTドコモに入社後、マーケティングのほか、営業・採用育成・人事制度を担当。事業会社の立ち上げや新規事業開発なども手掛ける。2015年1月、60人規模だったメルカリに入社。人事部門を立ち上げ、5年間で1800人規模までの組織拡大をけん引。採用広報や国内外の採用をメインとし、人材育成・組織開発・アナリティクスなど幅広い人事機能を歴任。2020年5月LayerXに参画。人事と広報領域を管掌(筆者撮影)経理・人事・法務など法人業務のSaaS「バクラク」シリーズやAIエージェント事業「AI Workforce」を手掛けるLayerXは2025年4月、創業以来の行動指針「Bet Technology」を「Bet AI」に改めた。対象を広げるのではなく、AIへ絞り込む方向の改定だ。以降の1年は、全社でAIを使い倒す「トークンマキシング」の期間になる。
AI活用を促す仕掛けを、表彰制度に埋め込んだ。月間MVPと連動する四半期の重点行動指針を「AIをまず試す」の1つに絞り、AIで業務成果を出した社員しか表彰しない状態を作った時期もある。
その結果は、予算超過に表れた。2026年2〜3月、トークン利用が事業計画上の予算を10倍ほど上回ったのだ。それでも共同代表の福島CEOと松本勇気CTOはとがめなかった。「使いすぎだと怒ることはなく、この現実を透明に従業員へ説明して、次は使って分かったことを価値に転換していこうと示してくれた」と石黒氏は振り返る。
多くの企業はAI活用を「週に何回使ったか」で測る。同社が最初から「(AIに読み書きさせる文字の量に応じた)トークン代」を指標としたのは、費用の肌感覚を育てるためだ。過去の商談動画から類似案件を探させれば、膨大なトークンを消費する。タグで対象を絞るか、安価なモデルで足りるかを本人が判断するには、「これなら5ドル、これなら20ドル使う」という感覚が要る。回数のカウントでは、この判断力は育たない。
生成AIの「利用率」を対外的に掲げる企業は多い。LayerXは「利用率はもう出す意味もないぐらいみんな使っている」(石黒氏)段階にあり、可視化は個人単位の費用まで踏み込む。「全社員の名前と、月ごとに誰が何トークンを使ったかが全部見えている」
情報は全社員が閲覧できる。「全員が全社員の分を見られます。福島(CEO)がどれだけ使っているかも見えます」。表示はトークン数にとどまらず金額換算した費用に及び、ほぼリアルタイムで確認できるという。
唐突に始めた施策ではない。同社では会社の月次の資金残高に当たる数字も、全社員が見られるようにしている。経営情報の透明性が先にあり、トークン費用の公開はその延長線上にある。
統制も併走する。上位モデルの利用は、上長と情報システム部門が業務上の必要性を判断し、許可する申請制を取る。この枠組みはマキシング期から変わっていない。
公開の狙いは査定ではない。「誰かを怒るためではなく、あの仕事はこのぐらい使うのか、という感覚を持つこと」だと石黒氏は位置付ける。実際の反応は、萎縮とは逆に振れた。石黒氏自身は自分の数字を見て「あんまり使えていないんだな」と感じたという。同席した広報メンバーも、周囲のビジネス職には「もうちょっと使っていいんだ」という受け止めが多かったと話す。
社内で流行語になっている問いがある。「ループは閉じてるか」。
使ったトークンが組織や製品の学習として残り、次の改善につながる状態を「ループが閉じる」と呼ぶ。福島氏が繰り返し使い、チームのミーティングで「それ、閉じてるか?」と確認し合う言葉として定着した。
人事評価の効率化プロジェクトが分かりやすい。同社は評価工数の8割削減を上期の目標に掲げる。社員の半期の振り返りは、NotionやSlack、Google Workspace、Salesforceに残るデータからほぼ自動でまとめられる。「アクティビティの95%ぐらいは、まとめられるんじゃないか」と石黒氏はみる。これを目標と社内グレードに突き合わせれば、1次評価の案が出る。上長はその案に「これは5だ」「ここは評価に値しない」と最終判断を加える。この判断が記録されることで、下期には似た目標と成果に対する評価がチューニングされていく。人間の判断そのものが学習データになる循環だ。
経費精算でも同じ構造が動く。宿泊費の上限が1万5000円のところへ1万6000円の申請が来たとき、一律には弾かない。「4月は各社の新人研修でホテル相場が高い」という理由で承認された実績がデータで残っていれば、翌年4月の同様の申請は自動で通せる。
裏を返せば、学習結果が残らない使い方は投資と見なされない。「学習につながらないものにトークンを使っていたら、それは垂れ流し」とまで社内では言い切る。
石黒氏の整理では、AI活用には3つの段階がある。たくさん使う、投資対効果(ROI)を合わせる、その次が「ROIが回り続ける」(投資対効果が自動で高まり続ける)状態だ。
もちろん、ただ人間の判断結果をAIに取り込んでいけばいいという単純な話ではない。レビューを与え続ければ過学習や前提への固執が起き、AIを使えば使うほど、かえって成果が悪化してしまうケースもあり得る。この点は石黒氏も「まだまだこれからトライをしていく領域」と認める。
トークン費用の規模はどこまで来ているのか。石黒氏の感覚値で「労務費の1割ほど」。約700人の会社で無視できない金額になっているのは間違いないという。同社は2026年1月ごろから、月次決算でAI費をシステム予算から切り出し、経営会議で確認している。
予算上、トークンと人件費は今も別建てだ。ただし区分は混じり始めている。その一つが外注費の扱いだ。外部パートナーへ委託したリサーチや業務は、成果物は残っても学習は組織に残らない。AIを使えば、プロンプトやスキルの形で改善が蓄積する。
「外に出している仕事は、AI予算に付け替えていこうという話をまさにしている」と石黒氏。この構図を「減価償却費に近いのでは」と問うと「かけたコストが今年度だけでなく、来年度、再来年度への基盤になっていく」という捉え方を返した。
増額をためらわない理由は、現在のAIサービスの価格が安いと判断していることにある。米OpenAIや米Anthropicが赤字覚悟の価格でサービスを提供する今は、本来の数倍の値段がするものを使える「ボーナス期」。だからこそ「このAIへの投資(トークン利用費)を倍にしようと判断できる状態であることが大切」だと石黒氏は言う。
では、倍にする判断は誰が下すのか。「現場からボトムアップで、トークンのコストが足りないので2倍にしてほしいと言っても通らない」。1億円を2億円に、10億円を20億円にする判断はCEOやCxOにしかできないというのが石黒氏の見立てだ。4月に立てた予算でも、前提が変われば修正する。
「財務からしたら、2カ月かけて作った予算を壊されたらたまったものではない。それでも、ごめん壊すからと言って、全社一丸になって(予算案を)作り直す動きができるかが肝」
「人にAIを合わせるのではなく、AIに人が合わせるフェーズに明確に入っている」。トークン管理の先で、人と組織の作り替えが始まっている。
下地は数年前からあった。同社は2〜3年前から、営業の商談も採用面接も社内会議もほぼ全て録画している。経営会議は同じ部屋に集まりながらも、全員がオンライン会議を立ち上げて記録を残す。フルリモート勤務の社員が追いつきやすいようにと始めた運用が、そのままAIが読めるデータの蓄積になった。
採用では2026年4月、新職種「AIビルダー」の募集要項を公開した。プロダクトマネジャー、エンジニア、事業開発の境界を越え、AIで事業やプロダクトを組み上げられる人を指す職種で、すでにオファーを出す段階に来ている。新卒への1000万円オファーも3月に発表済みだ。並行して、AIの出力に「そっちじゃなくてこっちだ」と指示できる、高い業務解像度を持つ「ドメインエキスパート」の採用に力を入れる。
人事評価は、プロセス(過程)ではなくアウトカムベース(最終的な成果や仕事の結果)へ寄せる。「去年は分母のない分子(たまたま出た目立つ成果)だけを見ていたが、これからは分母(その前提となる業務量やプロセス全体の動き)をちゃんと可視化して評価していく」。全社員の目標を人事が作ったプロンプトにかけ、成果につながらない目標を機械的に洗い出す運用も始めた。
人員計画では、マネジャー1人が見られる人数が、8人程度から20人程度へ広がるとみる。SlackやNotion、Salesforceのデータが可視化されていれば、部下に「今日何をやったか」と聞く必要がなくなるからだ。人事・総務・経理という職能の区分けを廃止し、ワークフロー単位で組織を再定義する議論も社内で始まっている。
残る論点は、トークン資源の分配だ。中長期では「AIをうまく使える人に寄せていく」という考えが議論に上る。高い価値に転化できる人に予算を多く割くのは、給与に差があるのと近い話だという。一方で、シビアに分配しすぎれば、社員の主体性や創意工夫が失われるとして、全員が試せる環境を辞めるつもりはないと補足する。
人の給与と同じ緊張感が、トークンの配分にも持ち込まれ始めた。そしてこの管理手法は、資金残高まで開示する「700人のスタートアップ」の透明性を前提にしている。数千人規模の企業が同じ仕組みを持ち込めるのか。トークンマネジメントが日本企業の標準になるかどうかは、そこで試される。
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