友人と授業内容について話をしたり、問題を解いて間違えたところを見直すという方法の反復で身につけてしまうという方法である。問題を解いていくうちに勝手に頭に入るというのは、取材した限りでは一番よく聞いた勉強法である。当たり前すぎて、わざわざ勉強法と書くのも恥ずかしいところだ。
個人的には議論は好きなのだが、自分自身も友人もテキストやレジュメを一読もしてないことが多いので、テスト前にならないと機能しないことが多い。
少々コケにしてきた感はあるが、ノートを作り直して復習する学生もいる。とはいえ、Webサイトで例示されているような色ペンまで使った鮮やかなものやインデックスなどは見たことがない。ほとんどの学生のノートは、鉛筆かボールペンで黒々と書かれ、ときおり赤ペンや青ペンが使われる程度である。ノート作りが作業になってしまったらお終いだろう。
自分の頭に入れるのが重要なのだから、自分が読めればいい。美しい必要など、どこにもないのだ。
東大生のノートが美しいかどうかの以前に、授業に出る派・出ない派にも分かれるなど、細分化していけばキリがない。もちろん、これは別に合格してしまったから、腑(ふ)抜けになったというわけではない。大手予備校では有名な話だが、予備校には来るが授業には出ず、ひたすら自習室に通うというのはよくある話である。受験生にとって、仲間がいるという環境は重要だから、こういった予備校の使い方も一概に不合理だとはいえない。
これも「自分流」の勉強法である。テストで酷い点数を取ったり受験に落ちれば自己責任なのだから、授業に出ることを強制される筋合いはない。
読者の中には「目新しくもなんともないじゃないか」と思われている方もいるだろう。当たり前である。別に東大生だからと言って特別な勉強法があるはずもなく、彼らもまた地道に反復を行いながら、日々学んでいるのである。
最後に東大生の名誉のために言っておくと、授業に出なかろうが、シケプリがあろうが、ゼミの選考や就職活動などにおいて学校の成績(試験の点数)がモノを言ってくる。こうした成績による“競争原理”が働いているため、実は多くの東大生は驚くほど勉強しているのだ。
筆者は慶應義塾大学経済学部で1年間仮面浪人をし、フル単(1年生のときに必要な単位をすべて修得した)までして退学し、東大に再入学した不名誉な経歴を持つ。その個人的な経験から言っても、東大の方がはるかに単位を取るのが難しい(これも言い訳をしておくと、今でも慶應は大好きで、当時のクラスメイトとはいまだに仲が良い。学生生活を楽しむなら、絶対に慶應の方がいいと思う)。
東大ノート本の話に戻すと、正しいタイトルはこうだろう。
『東大生のノートの中にはキレイなものもある 〜誰も自分のノートを使わない不思議〜』
さて、美しいとは言いがたいノートを嫌々ながらも公開することに同意してくれた友人諸君に、深い感謝の意を述べて筆をおくことにしよう。筆者は良い友人に恵まれているようである。
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