難波 そうそう、普通の家の中に電圧安定器があるのがまずかっこいいなあって思いましたねえ。それでまだアナログの16トラックのあれが家の中にどーんとあって、それで、もう助手がすでにいたんですよ。紹介してもらったんですけど「この人は松武秀樹くんといって、優秀な青年でね」って。優秀な青年なのに、僕らが遊びに行ってるときにも「松武くんすまんけど秋葉原に行ってこれこれの部品を買ってきてくれ」ってメモを渡されて使いっ走りとかしてましたね。それが松武さんと会った最初の時。
杜松 まるでホームズ&ワトソンのような。
難波 そうそう、博士と助手ね。あの「優秀な青年で」っていう言い方もなんか博士っぽくてなかなかシビレましたね。「万城目くん!」みたいな。
野尻 もしかして「飛行船の上のシンセサイザー弾き」の博士のモデルは冨田さん?
難波 あれは違います、もうちょい前の、モーグ博士。それと僕ミステリも好きだったので、ディクスン・カーのフェル教授とモーグ博士を混ぜたような感じです。
野尻 あーなるほど、モーグ博士ですか。そうそう、あの話って要するにファーストコンタクトの話じゃないですか。シンセサイザーでファーストコンタクト。
難波 そう!実は未知との遭遇より僕の方がちょっと早かったんですよ。ちなみに柴野さんは僕がどんな小説書いても全然褒めてくれなかったんだけど、あれだけは面白かったって言ってくれたんですよね。高校生位の頃ですね。
野尻 それでもまだ高校生!その頃もうシンセいじっておられたんですか?
難波 いやもうとても高くて買えなかった。ヤマハとか山野楽器の店頭でMinimoogを触っては、あ、こうやってELPは1度4度5度重ねてるんだな、なんてやってましたね。
野尻 Minimoogって、キーボードぐらいの(横幅の)パネルが上についてるやつ?
難波 そうそう、あれは当時160万くらいしたんですよね、とてもじゃないけどアマチュアが買える値段じゃない。それで学生バンドをはじめて。中高生の時はSF同人雑誌に夢中になってたんですけど、大学生の時はバンドばっかりやってましたね。その学生バンドでダンパバンドをやって稼いで。それで楽器を買い揃えていったんですね。結構お金になったんですよ、あの頃ダンパをやるとね。
野尻 えーとダンパというのは?
杜松 ダンスパーティです。
野尻 ダンスパーティですか!
難波 当時の、まだディスコもない、ディスコの前くらいの頃ですよ。
杜松 私はそこリアルタイムではないですけど、そういうステージがあるお店とかありましたよねえ。
難波 そこにね、生バンドが入るんですよ、あろうことかあるまいことか。
野尻 おお、それは素晴らしい。
難波 しかもそれがいわゆるキャバレー風のビッグバンドではないんですよ。フィリピンのバンドが多かったですけど
杜松 3ピース4ピースのこぢんまりしたのから、6人くらいのバンドまで色々。オールディーズ、カントリーテイストなお店だったりすると、入ってる生バンドがそういう曲ばっかりをやるんです。だから高校生や大学生のバンドで腕のある上手いバンドだったら、結構稼げるバイトだったようですよ。
難波 まあでも圧倒的にフィリピンパンドがうまかったですね。スティーリー・ダンもうまいし、ディープ・パープルもうまいし、ディスコもうまい。全部できちゃう。
杜松 私も高校生の時、友達のバンドがカントリー系のお店のバンドをやってたんですよ。同い年の高校生なのにビートルズとかチャック・ベリーとか、古いスタンダードナンバーやカントリーテイストがやたらうまい。高校生ごころにこれはなんかへんだよなあって思ってましたね。
難波 ぼくらそういうの「夜店のにおいがする」ってよく言ってた。「うまいけどちょっと夜店(よみせ)の匂いがする!」って。そういう、夜、バンドを入れてるような店が昔はあって。今でも名古屋とか行くと、ありますよ、夜店。黒人ミュージシャンが多いですけどね。
杜松 あれはほんとに人に聴いてもらえる、とか音楽の衝動じゃなくて、自分の演奏の腕が金になる、っていうところだったんでしょうね。
難波 結構ミュージシャンもあのへんから出てきた人多いですよね。
野尻 筋金入りというか。'70年代ですよね。五木寛之の小説に出てきそうだなあ、我が青春の喫茶店の世界。
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