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「年に100曲作った」――“ひどい耳コピ”で笑われた中2、6年でプロ作曲家に ネットとボカロがつないだ成長の軌跡(3/3 ページ)

» 2015年02月10日 11時17分 公開
[岡田有花,ITmedia]
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 「曲を作る楽しさを感じることができたのは、曲を聴いて感想をくださった方とか、真に僕の曲を受け止めてくださった人とか、周りの方のおかげです」。黒魔さんはしみじみと言う。

 ただ、曲の再生数やコメント数はそれほど気にしていないという。「反応をもらえるとうれしいんですが、万人受けしない曲も、好きで作っているので」。否定的なコメントにへこむこともあるが、「もっと良い曲を作って、もっといろんな人に喜んでもらえるようになりたい」と前向きに考える。

商業も同人も「違いはない」

 黒魔さんの活動は幅広い。個人でアルバムを作ったり、同人CDやゲームに曲を提供しているほか、メジャーレーベルのボカロCDに参加したり、スマートフォン「Xperia」の初音ミク版「dx39.net Xperia feat.HATSUNE MIKU」に楽曲が採用されるなど、企業にも作品を提供している。

 同人も商業も、同じぐらい大切だという。「個人のCDならメジャーでも同人でも好きな物を詰め込んで作りたいし、他の方に出す曲でなら、できる限り相手のことを考えて作りたい。商業のほうが少しプレッシャーが大きいぐらいで、違いはないです」

「バンドマンのように」勢いで上京

 八戸市の高校を卒業後、仙台市内の電子系専門学校の音楽関連学科に進学。作曲理論や演奏の基礎を学んだ。20歳で卒業し、フリーランスとして独立。地元の青森でしばらく活動したあと、昨年8月に上京。今はボカロを通じて知り合った都内の友人と一緒にルームシェアしながら毎日、曲作りにいそしんでいる。

 「本当に勢いだけで、貯金もまったくない状態で上京したんです。好きなことができるフリーの立場なのに、地方にいるためにできないことがあるのがすごく嫌で。DTM(デスクトップミュージック)というインドアな趣味をしながら、変にバンドマンっぽい勢いがついてしまって(笑)」

 東京にはたくさんの音楽仲間がおり、イベントも多い。東京にいれば会いたい人に会い、出たいイベントに出られる。東京に住まなくては分からない気持ちも味わい、曲に生かしていきたいという。「東京に来たからには全力でやろう」――そう覚悟を決めている。

やれるところまで音楽を

 これからやりたいことはたくさんある。ゲーム音楽をたくさん作りたいし、いろんな人に会いたいし、面白いイベントに出たいし、海外に行き、日本にはない空気を吸って曲を作ってみたいし、いつか著名な作曲家と肩を並べたい――話し始めると止まらないほど、やりたいことがあふれている。

 「でっかい人間になりたいです。みんなからスゲ−って思われるような……いや、思われなくても、自分の中で納得できるぐらいスゲー曲を書けるようになりたいです。自分にコンプレックスを抱えている部分もあったので、自分に自信が持てるような人間になりたくて」

 金銭的な成功は望んでいないという。「もうけようと思って東京に出てきたわけでは全くないです。いろんな人と話したりつながって、面白いことをやりたい。今は音楽しかないので、やれるところまで音楽をやりたいですね」

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