さらに私たちは双曲型錯視の構造を詳細に調べてみました。私と新井しのぶは、([A1])「幾何的フィルタリング」(幾何的たたみ込みともいえる)を考案しましたが、それはギャラントらの発見したV4野にある神経細胞の果たす機能と、ある程度似た性能をもつフィルタリングになっているのではと考えています。下図は幾何的フィルタリングの例を示すものです。
【補注5】(数学の専門的内容に興味のある方に対するコメント)図11の各(A)、(B)、(C)を構成しているパッチはガボールパッチのように見えますが、実はガボールパッチではなく、ウェーブレットを進化させた「かざぐるまフレームレット」(新井・新井、2009)です。ガボールパッチとの相違は複数あります(例えばその一つは、前者の台が故意に切断しなければ無限遠まで続くのに対して、後者の台は端を切断しなくてももともとコンパクト集合になっている)。そしてそれらが本研究にとっては利点となっています([A1]参照)。
これを用いて、どの幾何的フィルタリングの部分がカメの錯視を使った双曲型錯視に寄与しているのかをコンピュータを使って明らかにすることができました。
これについて詳しく述べておきます。まず、少し専門用語を使うと幾何的フィルタリング機能を備えた完全再構成フィルタバンク([A1])を実装したコンピュータを用意します。これにカメの錯視を使った双曲型錯視画像を入力すると、画像データに対して大量の多様な双曲型の幾何的フィルタリングが行われます。それらのうち垂直・水平方向の錯視に関与すると考えられる幾何的フィルタリングの働きを抑えると、コンピュータは対角方向の錯視だけを起こす画像を出力してきます(下図参照)。
また、対角方向の錯視に関与すると考えられる幾何的フィルタリングの働きを抑えると、コンピュータは次の図のように水平・垂直方向の錯視だけが起こる画像を出力します。
それでは錯視に関係すると考えられるすべての幾何的フィルタリングの働きを抑えるとどうなるでしょう。結果は、下の図のように水平・垂直そして対角の錯視がほとんど起こらなくなる画像が出力されました。
前回の記事では、偶然見つけられた古典的な錯視の例をいくつか紹介し、今回は学術的な推論から導いた錯視とその数理的な解析について紹介しました。
前回と今回で、錯視を身近なところから見つける楽しさ、そして学術的研究の面白さの一端をお伝えできていれば幸いです。
なお、V4野の数理モデル研究については、実はまだよく分かっていないことが余りにもたくさんあります。紹介したV4野に関わる数理的な研究と人工知能との関連も興味深い研究課題の一つです。
引用・参考文献
[A1] H. Arai and S. Arai: Framelet analysis of some geometrical illusions, Japan Journal of Industrial and Applied Mathematics, 27(2010), pp.23-46.
[A2] 新井仁之: 正則関数,数学のかんどころ36巻,共立出版,2018.
[C] カールソン(泰羅雅登・中村克樹訳): 第4版 カールソン 神経科学テキスト,脳と行動,丸善出版, 2013.
[F] J. Fraser: A new visual illusion of direction, British Journal of Psychology,2(1908), 307-320+図版.
[G1] J. K. Gallant, J. Braun, D. C. Van Essen: Selectivity for polar, hyperbolic, and Cartesian grating in macaque visual cortex, Science, 259 (1993), 100-103.
[G2] J. L. Gallant, C. E. Connor, S. Rakshit, J. W. Lewis, D.C. Van Essen: Neural responses to polar, hyperbolic, and Cartesian gratings in area V4 of the macaque monkey, J. Neurophysiol.,76 (1996), 2718-2739.
[G3] J. L. Gallant, R. E. Shoup, J.A. Mazer: A human extrastriate area functionally homologous to macaque V4, Neuron 27 (2000), 227-235.
[K] 北岡明佳:「カメ」の錯視, UP (東京大学出版会),401 (2006), 34-40.
[KPB] A. Kitaoka, B. Pinna, G. Brelstaff: New variants of the spiral illusion, Perception, 30 (2001), 637-646.
[R] J. O. Robinson: The Psychology of Visual Illusion, Dover, 1972.
著者:新井仁之(あらい ひとし)
早稲田大学 教育・総合科学学術院・教授、理学博士。
横浜市生まれ。東北大学大学院理学研究科教授、東京大学大学院数理科学研究科教授
などを経て現職。
視覚と錯視の数学的新理論の研究により、平成20年度科学技術分野の文部科学大臣表彰科学技術賞(研究部門)を受賞、1997年には複素解析と調和解析の研究で日本数学会賞春季賞を受賞。
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