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コロナ禍で欠かせない「ヘルスパスポート」 中国では“治安維持に利用された”報道で市民監視への悪用指摘(2/2 ページ)

» 2022年08月04日 08時00分 公開
[小林啓倫ITmedia]
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米国で露呈した健康管理アプリのリスク

 こうした人間の身体や健康に関する情報や、それに基づく仕組みが、その対象者が意図していなかった形で利用されるという恐れは、中国のような権威主義国家に限った話ではない。例えば米国ではいま、女性が生理(月経)の周期を管理するためのアプリに注目が集まっている。

 米国の連邦最高裁判所は6月24日、衝撃的な判断を下した。女性が人工妊娠中絶を受けることを憲法上の権利として認めた、1973年の「ロー対ウェイド判決」を破棄したのである。この保守化を促す判決は米国社会に大きな衝撃をもたらし、バイデン大統領は判決と同じ日に「最高裁による悲劇的な過ち」と強く非難している。

 人工妊娠中絶を具体的にどう扱うかの法律は、米国内の州レベルで制定されるため、最高裁判決によってすぐに全米で中絶が行えなくなったわけではない。しかし既に違法化の動きを見せている地域があり、ニューヨーク・タイムズ紙によれば、およそ半数の州が何らかの形で中絶に制限を設ける見通し、あるいは実施済みとのことである。

 実際にオハイオ州では、妊娠6週以降の中絶を禁止する州法が施行され、その結果、同州でレイプの被害にあった10歳の少女が、隣のインディアナ州まで移動して中絶を受けるという事態が発生している。

 こうした状況を受け、米国のネット上では、「生理管理アプリを削除せよ」という呼びかけが行われている。例えば、米オックスフォード大学の社会学者であるジーナ・ネフ教授は、6月25日に「いますぐ、まさにこの瞬間に、生理周期に関するデジタル記録を全て削除してください。お願いです」というツイートを投稿している。

 生理アプリに記録されるデータは、ユーザーの妊娠に関する詳しい状態を明らかにすることができる。もし中絶が禁止された州で、警察が中絶という「違法行為」を捜査するためとしてこうしたデータを入手したら(そして捜査目的で企業にデータ提出を求めることは一般的に行われている)、ある女性がいつ妊娠したか、そしていつ生理が再開したかを正確に把握できるだろう。そこからは当然、その女性が中絶したか否かも明らかになる。

 ネフ教授が行ったような警告には、いま大きな賛同が集まっており、アプリ開発会社の間にもそれに対応する動きが見られる。例えば、生理周期管理アプリの「Flo」は、データを自分と結び付けない形で記録できる「匿名モード」を用意し、公式サイト上で「あなたの健康データは、Flo以外の会社と共有されることはありませんし、いつでも削除することができます」と宣言している。

生理周期管理アプリであるFloの公式Webサイトから引用

 中国の「健康コード」と異なり、米国の事例はアプリが直接的に監視行為を行っているわけではない。Floのように、監視行為に加担することを積極的に回避しようとする企業も存在している。しかしこれらの例は、健康や身体に関する情報をデジタルで蓄積・管理する仕組みが、ユーザーにデメリットをもたらす存在へと容易に転換され得ることを示しているといえるだろう。

 新型コロナウイルスの完全な終息はまだ見通しが立っておらず、サル痘など新たな感染症が流行する恐れも生まれている。健康情報を、スマートフォンのような携帯端末で手軽に管理するという行為は、今後ますます定着する可能性が高い。

 それは確かに便利で、健康に対する不安と隣り合わせの社会では必要不可欠なものだが、一方で大きなリスクを秘めたものであることに留意しなければならない。

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