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Midjourneyを使って考えた「AIとクリエイティビティ」(4/4 ページ)

» 2022年08月11日 13時09分 公開
[西田宗千佳ITmedia]
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「道具としてのAI」が生み出すクリエイティビティとは

 これらの絵を見てどう思うだろうか?

 クオリティはかなり高いと思う。

 もちろん絵のテイスト、というかモチーフには一定のベクトルがあり、言葉を飾らずにいえば「アメリカのコンテンツ企業でイメージボードに描かれる絵、それもゲームやSFなどのエンタメに偏っている」印象がある。

 それはおそらく、学習に使われている絵のソースがそちら方面に偏っていることに加え、Discordの上でユーザーが描かせる絵にも、大きな偏りがあるからだろうと思う。

 それで使い物にならない、と考えるのは間違いだろう。使える範囲への制限はあるが、ちょっとしたイメージ画や下絵、背景には十分に使える。それに、ソースの偏りなら、学習で修正できる。

 これが人の仕事を奪うのか、という点については「そうかもしれないが、たいした影響はない」と予測する。

 AIが絵を描いて補完してくれるとしても、それはフォトストックや「いらすとや」に似たものが増えるのと大差ない。フォトストックやいらすとやの存在によって、「どれでもいいけど手早くいいものを使いたい」ところで、人間が絵を描きおろす・撮りおろす必然性は減った。同じように「ここになにか絵が欲しい」とき、一定のコストでソフトが描いてくれるなら、それは間違いなく「アリ」な世界だ。

 道具として考えても、いまさら「AIはまかりならん」という話はないだろう。ゲームや映画のCGでは、街の建物や木を自動生成するツールが使われている。それとMidjourneyはどこが違うのだろうか?

 ポイントは、「それで人が楽になり、より良いコンテンツが作れるかどうか」ということだ。

 短期的には「サービスに共通のテイスト」には価値があるだろうと思う。いかにもMidjourney、という絵には、しばらく一定の価値が生まれるのではないか、と思う。

 一方で、本当の意味での「テイスト」をAIが作れるのか、という疑問は残る。できそうな予感はするが、「AIが作ったものです」では、一定までのコストは負担しても、なかなか高い対価は払わないだろうと思う。

 ここでもっとも良い比較対象は「いらすとや」だと考える。

 前述のように、「とにかくここにいい感じのイラストを埋めたい」というニーズを満たすものとしては、いらすとやの作品でもAIでも同じかと思う。

 だが、いらすとやの一連の絵には確実に「一定のテイスト」が存在する。たくさんの場所に使われ、ありふれた絵になったが、その「テイスト」が生み出すなにかがあるから、人は「あえていらすとやを使う」ことがある。それは強いクリエイティビティの結果だと考える。

photo ごぞんじ「いらすとや」はどこにでも使われているありふれた存在だが、独自のテイストがあることで使う場所にもそのテイストが宿る

 AIでそれができるのか? AIでできたとして、そこに価値を人が見出すのか? そこには情緒的なものも反映されるので、なんとも言い難いところがある。

 Midjourneyのような仕組みの場合、「一定のテイストを必ず生み出す命令を与えること」には、短期的にはクリエイティビティが生まれる、と思う。今の機械学習の持つあやふやな部分が人間側の最適化を必要とし、そこにクリエイティビティが見出しうる。

 同じような絵が出てくる場合、その過程は「作業」に過ぎず、付加価値は生まれづらい。だが、生み出されるものに「ぶれ」があってそこに人の発想が関わるなら、間にいるのがAIであろうが、それは「作品」になりうるし、その過程で「人の意図によるテイスト」が感じられるとすれば話は違うのではないか。実際、「なぜこのような描写ができているのか」という作品もシェアされるようになってきており、そこには「Midjourneyっぽさ」がかなり消えているものも多い。

 一方で、アーティストのテイストを意図的に真似る行為や、特定のキャラクターそのものを描かせる行為は、個人の創作としては問題なくとも、商業利用になるとなかなか微妙な話になってくる。

 SNSでは「Midjourneyへの命令」を、魔法使いの呪文に例える人もいるが、なんとなくわかる。この辺が実に興味深いことでもある。

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