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ChatGPTに“追悼文”を書かせるのは失礼なのか? 米国で物議に 求められる第三者への配慮事例で学ぶAIガバナンス(2/3 ページ)

» 2023年04月27日 13時00分 公開
[小林啓倫ITmedia]

求められる第三者への配慮

 ただ、追悼文をAIに書かせるという行為は、それほどとがめられるものなのだろうか

 ピーボディ校の追悼文について、文章自体だけを見た場合、失礼だと感じさせる部分はほぼ無いといえる。1点だけ、冒頭の「最近発生したミシガン州での銃乱射事件」という部分が、原文では複数形(incidents)になっているため「最近ミシガン州で起きた銃乱射事件は1件だけなので明らかに事実と異なる」と批判されている。

 それを除けば、文章そのものは嫌悪感を抱かせるようなものではない。実際に「ChatGPTに書かせました」という告白が無かったら、多くの人々がこの文章にAIが使われているとは思わなかったのではないだろうか。

 前述の通り、多くの批判的意見で「追悼文に効率性を重視するのはおかしい」との指摘が行われている。ただこれも、実際にピーボディ校の担当者がどのようにこの文章をまとめたかを確認しなければ、正確な判断は下せない。

 例えば担当者が犠牲になった人々に失礼があってはいけないと思い、何度も自分で書いてみたが納得のいく文章にならない……そこでさまざまなツールを使っているうちに、ChatGPTで良い結果が得られた、という可能性もあるはずだ。それならば逆に、この担当者は「手間を惜しまずに立派な追悼文を書き上げた」ということになる。

 そもそもこうした追悼文には、さまざまなフォーマットや例文、決まり文句といったものが存在している。文章の完成にかかる時間を短くする、という点では、例文を使うのもAIに頼るのも変わらない。こうした従来のツールを使うのは「被害者の心情を無視した効率性の重視」には当たらないのだろうか?

 いや、そうした例文は人間が考えたものだから許される、問題はロボットが考えた文章であるという点だ、というのも説得力が弱い。仮に全く同じクオリティーの文章が完成するのだとすれば、人間とAI、どちらが書いても同じくらい人間の心を動かすものになるはずだ。

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