ITmedia NEWS > ネットの話題 >

「この世は生きるに値するんだ」 「風立ちぬ」の後をどう生きるか 宮崎駿監督、引退会見全文(7/9 ページ)

» 2013年09月06日 23時41分 公開
[岡田有花,ITmedia]

「今のタレントさんは存在感がない」 庵野秀明氏をキャスティングした理由

――「風立ちぬ」では庵野秀明さんやスティーブン・アルパートさんなど監督とゆかりの深い方が出演しています。キャスティングの裏には何かあったのでしょうか。

宮崎 その渦中にいる方は気がつかないと思うんです。つまり、毎日テレビを見てるとか日本の映画をいっぱい見ているとか、その人達は気づかないと思うんです。吹き替えのものを見てるとか。

 僕は東京と埼玉県の間を往復して暮らしていますけど、さっきも言いましたように、映画を見ていないんです。テレビも見ていません。自分の記憶の中によみがえってくるのは……特に「風立ちぬ」をやっている間じゅうよみがえってきたのは、モノクロ時代の日本の映画です。昭和30年以前の作品ですよね。暗い電気の下で生きるのにたいへんな思いをしている若者やいろいろな男女が出てくるような映画ばっかり見ていたんで、そういう記憶がよみがえるんです。

 それと、今の……失礼ですが、タレントさんとのしゃべりかたを比べるとそのギャップに愕然とします。何という存在感のなさだろうと思います。庵野もスティーブン・アルパートさんも存在感だけです(笑)。かなり乱暴だったと思うんですけど、そのほうが僕にとっては映画にぴったりすると思いました。

風立ちぬは「ドルビーサウンドだけどドルビーじゃない」

 でもほかの人がダメだったとは思わないです。菜穂子をやってくださった人(瀧本美織)なんかはみるみるうちに本当に菜穂子になってしまって、ちょっと愕然としました。そういう意味で非常に、「風立ちぬ」の映画はですね、ドルビーサウンドだけどドルビーではないものにしてしまう、周りから音は出さない。ガヤは二重にも三重にも集めてやるんじゃなくて。音響監督は2人で済んだと言っています。

 つまり昔の映画はそこでしゃべっているところにしかマイクが向けられませんから、まわりでどんなにいろんな人間が口を動かしてしゃべっててもそれは映像には出てこなかったんです。その方が世界は正しいんですよね。僕はそう思うんです。それを24チャンネルになったらあっちにも声を付けろ、こっちにも声を付けろ、それを全体にばらまく結果、情報量は増えているけど表現のポイントはものすごくぼんやりしたものになっているんだと思います。

 思い切って、美術館の短編作品をいくつかやっているうちにいろいろ試みていたら、これでいけるんじゃないかと私は思ったんですけど、プロデューサーがまったくためらわずに「それでいこう」と言ってくれたのが本当にうれしかったですね。音響監督もまさに同じ問題意識を共有できててそれができた。こういうことって滅多に起こらないと、僕は思います。

「初めて円満な気持ちで終えた」

 これもうれしいことでしたが、いろんなそれぞれのポジションの責任者たちが……例えば色だとか背景だとか、動画のチェックをする人とか、それぞれいろんなセクションです。制作デスクの女性も、音楽の久石(譲)さんも……って一番最後に言うのは問題があるんですけど……何かとってもいい、円満な気持ちで終えたんです。

 こういうことは初めてでした。もっととんがって、ギスギスしたところを残しながら終わったもんなんですけど、こんなに、僕はつい、「僕のお通夜に集まったようなスタッフだ」と言ったんですけど、20年ぶり、30年ぶりのスタッフも何人も参加してくれてやりました。映画を作る体験としては、まれないい体験として終われたので、本当に運がよかったと思ってます。

「57キロになって死にたい」

――5年前よりずいぶんやせたようにお見受けしますが、健康状態はいがですか?

宮崎 いま僕は、正確に言うと63.2キロです。僕は50年前にアニメーターになったとき57キロでした。それが60キロを超えたのは結婚したせいなんですけど、つまり三度三度めしを食うようになってからです。そのころの自分の写真をみると「醜い豚のようだ」と思ってつらいんです。

 映画を作っていくために体調を整える必要がありますから、外食をやめました。朝ご飯はしっかり食べて、昼ご飯は家内の作った弁当を持ってきて食べて、夜はうちへ帰ってから食べますけど、ご飯は食べないでおかずだけ食べるようにしました。別にそれできつくないことが分かったんです。そしたらこういう体重になったんです。これは女房の協力のおかげなのか陰謀なのか分かりませんけど、これでいいんだと思ってるんです。

 僕は最後57キロになって死ねるといいなと思っているんです。スタートの体重になって死ねりゃあいいと思ってます。健康はいろいろ問題があります。問題がありますけれど、とても心配してくださる方々がいて、よってたかって何かやらされますので、しょうがないからそれに従ってやってこうと思ってますから、何とかなるんじゃないかと思います。いいですか? それで。

――今は健康ということですね。

宮崎 映画を1本作るりますとよれよれになります。どんどん歩くとだいたい体調が調ってくるんですけど、この夏はものすごく暑くて。上高地行っても暑かったんですよ。僕は呪われていると思ったんですけど。まだ歩き方が足りないんです。もう少し歩けばもっと健康になると思いますが。

憲法について語ったのは、鈴木プロデューサーを暴漢から守るため?

――監督はご自身のことを「町工場のオヤジ」とおっしゃっていましたが、あえてこの夏「熱風」で憲法について発信された理由は。

画像

宮崎 熱風から取材を受けまして、僕は自分の思っていることを率直にしゃべりました。もう少しちゃんと考えてきちんとしゃべればよかったんですけど、「あーもう、ダメだよ」とかそういう話しかしなかったもんですから、ああいう記事になりました。別に訂正する気も何もありません。

 じゃあそれを発信し続けるかといわれても、僕はさっきも言いましたように文化人ではありませんので、その範囲でとどめていようと思います。

――熱風の取材でしゃべろうと思ったのはなぜですか

 それはですね、鈴木プロデューサーがですね、中日新聞で憲法について語ったんですよ。そしたら鈴木さんのところにネットで脅迫が届くようになった。それを聞いて、鈴木さんに、冗談でしょうけど「電車に乗るとやばいですよ、ブスッとやられるかもしれない」というふうな話があって。

 これで鈴木さんの腹が刺されてるのにこっちが知らん顔しているわけにはいかないから、僕も発言しよう、高畑監督にもついでに発言してもらって、3人いると的が定まらないであろうという話で発言しました。それが本当のところです。ほんとに脅迫した人はどうもつかまったらしいですが、それは詳細は分かりません。

――ディズニー出身の星野さんに伺います。宮崎さんが「日本のディズニー」と称されることもありますが、そう表現されることをどうお感じですか。

星野 日本のディズニーという言い方は監督がしているわけではありません。08年に同じ質問が外国人の記者の方から問われたときに監督がおっしゃっていたのは、ウォルト・ディズニーさんはプロデューサーであるが、自分にはプロデューサーがいると。わたし自身もディズニーには20年近くいましたが、ディズニーとは全然違うなと感じています。そういう意味では日本のディズニーではないのではないかなと思います。

アニメーションというのは世界の秘密をのぞき見ること

――作品の中などで「力を尽くして生きろ、持ち時間は10年だ」という言葉がありますが、監督の中でその10年はどこでしたか? また、この先10年はどうなってほしいと願っていますか?

宮崎 僕の尊敬している堀田善衛さんという作家が、最晩年ですけどエッセイで、旧約聖書の「伝道の書」というのを、「空の空なるかな」というエッセイと、もう1つありましたね……で、書いてくださったんです。その旧約聖書の「伝道の書」の中にですね、「汝の手に堪(たふ)ることは力をつくしてそれを為す」という文章があるんです。それだけじゃないんですけど、非常に優れた、わかりやすく、僕は堀田善衛さんが書いてくださると、「頭が悪いからお前にもう1回分かるように書いてやるから」という感じで書かれている気がしまして、その本はずっとわたしの手許にあります。

 10年というのはですね、僕が考えたことではなくて、絵を描く仕事をやると38歳ぐらいにだいたい限界がまずきて、そこで死ぬやつが多いから気をつけろと僕は言われたんです。自分の絵の先生にです。それで、だいたい10年ぐらいなんだなと思った。僕は18歳の時から絵の修行を始めましたので。そういうことをぼんやりと思って10年とつい言ったんですが。

 実際に監督になる前に、アニメーションというのは、世界の秘密をのぞき見ることだ。風や人の動きやいろいろな表情や、まなざしや、体の筋肉の動きそのものの中に世界の秘密があると思える仕事なんです。それが分かった途端に、自分が選んだ仕事が非常に奥深くてやるに値する仕事だと思った時期があるんですよね。

 そのうちに演出やらなきゃいけないとかいろんなことが起こってだんだんややこしくなるんですけれども、その10年は何となく思い当たります。そのときは本当に自分は一生懸命やっていたというふうに、まぁ、いまから言ってもしょうがないんですけども。

 これからの10年に関してはですね、あっという間に終わるだろうと思っています。それはあっという間に終わります。だって美術館作ってから10年以上たってるんですよ。ついこの間作ったと思っているのに。これからさらに早いだろうと思います。ですから、そういうもんだろうと(笑)。それがわたしの考えです。

外食は向かない人間に改造されてしまった

――長編映画をやめることを奥さんにどう伝えたのですか?

画像

宮崎 家内には、「こういう引退の話をした」というふうに言いました。それで、「お弁当は今後もよろしくお願いします」と言って、「フンッ」、って言われましたけど(笑)。

 常日ごろから「この年になってまだ毎日弁当を作っている人はいない」と言われておりますので、「誠に申し訳ありませんがよろしくお願いします」と。そこまで丁寧に言ったかどうかは覚えていませんが。というのはもう、外食は向かない人間に改造されてしまったんです。ずっと前にしょっちゅう行ってたラーメン屋に行ったら、あまりのしょっぱさにびっくりして。本当に味が薄いものを食わされるようになったんですね。そんな話はどうでもいいですけど(笑)。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.