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オホーツク“夢の庭”と生きる77歳「花の神様」から教えられたこと60年以上かけて築き上げた「遺産」(5/7 ページ)

» 2018年10月19日 08時30分 公開
[今野大一ITmedia]

痛感した「広告の無意味さ」

 武市さんと話していて興味深かったのが、陽殖園の中吊り広告を出したときのエピソードだ。広告を出したのは1965年ころの1回だけだという。

 「友達から『広告を出せ』といわれることが多くて、汽車に吊り広告を出したんだ。広告を出したら、さぞかしお客さんが来てくれるだろうと思った。でも汽車に乗ってみて気付いたんだよ。俺は広告を出した側だから一生懸命その広告をうれしい気持ちで見ているけど、周りを見たら誰も見ていないんだよね(笑)もちろんその広告を見て来園した客も、誰もいなかった。広告なんて1円にもならん、と最初に気づいたよ」

 「これは俺が貧乏だったから良かったことだよね。貧乏だったがゆえに、いかに大事にお金を生かせるかを考え続けていたから、気付けたんだよ。生きていくのに必死だったからね。幸い広告には食い物にされなかった。こう考えると、お金があること、裕福であることが必ずしも幸せにつながるとは限らないんじゃないかなあ。もし俺が金持ちだったら、何が大切なのかに気付けなかったかもしれない。むしろお金があることが、不幸の素になるかもしれないね」

phot 十数メートルの大木に登りながら咲くツルアジサイ。7月上旬が見頃

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