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» 2020年07月25日 09時00分 公開

悪と欲望から斬る行動経済学:サラダマックが大失敗した訳――「データの奇麗なウソ」をマーケッターはなぜ妄信するのか (4/4)

[松本健太郎,ITmedia]
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「煩悩」もまた人間らしい意思決定

 マクドナルドが消費者にアピールするポイントは「背徳感」である、と洞察できる人はそう多くはいないでしょう。なぜなら、人は自分にとっての良い意思決定=「善」しか選ばないと考えるビジネスパーソンが多いからです。

 人間にとって健康こそ一番。だから人間は身体に良い食べ物が欲しいに「決まっている」。なぜなら人間は合理的な生き物だから、他の選択肢は「考えられない」。頭のどこかでそう決めつけていると、なかなか「背徳感のある商品」という発想にはいたりません。

 人間は「善」(例えば健康)を求める存在とみなすのも、一理ある考え方です。しかし、人間は先述の通り複雑な存在です。その内面には「善」だけでなく、身体に悪い食べ物をガツガツ貪りたいと感じる「悪」の欲求も潜んでいます。

 ある意味歪んでいるかもしれませんが、「悪」を選ぶのも、本人は良い意思決定だと思っているかもしれません。むしろ「楽をしたい」「酒に逃げたい」「あいつが嫌い」「あいつが妬ましい」といった悪い感情、幅広い意味の言葉に置き換えれば「煩悩」にまみれた姿こそ、本来の人間らしさなのかも知れません。

 人間が持つ煩悩の中でも、根本煩悩と呼ばれる「貪(とん、欲望)」「瞋(しん、怒り)」「痴(ち、愚かさ)」「慢(まん、怠惰)」「疑(ぎ、不信)」「悪見(あっけん、偏見)」の6つが、煩悩の代表格だと言われています。

 一方で、六波羅蜜と呼ばれる「布施(ふせ、施す)」「忍辱(にんにく、耐え忍ぶ)」「智慧(ちえ、修養)」「精進(しょうじん、努力)」「持戒(じかい、道徳規範)」「禅定(ぜんじょう、集中)」の6つが、悟りを開くための修行徳目として知られます。偶然かもしれませんが煩悩と波羅蜜は相対するように重なっており、「悪」=「煩悩」を打ち消す「善」=「波羅蜜」とも見えます。

 仏教では煩悩を無くし、波羅蜜の修行を遂行してこそ仏様の境地にたどり着けると考えられています。ですが私たち普通の一般人が、「煩悩」を「悪」だからといって否定して消し去ろうとしてもあまりうまくいかないでしょう。むしろ、人はそうした「悪」にこそ魅力や親しみを感じるだけでなく、時には「熱狂」さえするのです。

 例えば、芸能人の出川哲朗さん、蛭子能収さん、漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』でお馴染みの両津勘吉のようなキャラは、親しみを込めて「愛すべきクズ」と呼ばれます。落語に登場する八つぁん、与太郎のようなキャラもそうした存在でしょう。彼らは根本煩悩で言えば、痴や慢に分類される「悪」と言えます。

 親しみやすい「悪」だけでなく、もっと感情の奥深いところをつかんで揺さぶるような「悪」もあります。映画『カイジ』では、地下収容所での勤務後にキンキンに冷えたビールを藤原竜也さん演じるカイジが飲み、「悪魔的だ〜!」と叫ぶ場面があります。

 美味(おい)しい=良いこと=善ですから本来なら「天使的だ〜!」とでも言うべきですが、「天使的」ではキンキンに冷えたビールの旨さがよく伝わりません。「天使」よりも「悪魔」の方が俗っぽくて欲望まみれで堕落しているけど、その分だけとても魅力的だと私たちは無意識に感じている証左ではないでしょうか。まさに「貪」です。

 「煩悩」は人間の心を強く揺さぶります。波羅蜜は心の揺さぶりを無くすための修行ですから、むしろ煩悩にまみれるほど、より強く心を揺さぶることができるでしょう。だとすれば、人間を熱狂に駆り立てるためには、「善」よりも「悪」や「煩悩」のほうがより重要な要素とも考えられます。

 煩悩に負けてしまう心と、負けまいと修行する心。双方を行き来しながら、悩み苦しんで日々を生きているのが人間なのだと筆者は考えます。そうした人間の本質を理解せず、「善は悪に勝つ」「悪は忌避すべき存在」といった単純な枠組みで世界を見ている限りは、どれだけデータ処理の理論を学んだところで、「データのウソ」には気付けませんし、ましてや「背徳感こそヒットの鍵」みたいな「洞察」にはたどり着けません。

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