常呂町にカーリングが伝わった1980年から42年がたった。Jリーグは今年で30周年を迎えている。一定の成績を残すには、それなりの時間と歴史の積み上げが必要なのだ。その上で、今後、発展させたいことは何か聞いた。
「組織になると、できることとできないことが明確になってしまいますが、逆に私は『できないところをやってみると世界が変わる』と思いました。だからカーリングチームを法人化し、“かゆいところに手が届く”チームを作りました。実業団に所属していて、何かもう1つ手が届くことができれば、辞めずに済んだ選手がいたこともあったからです。(そういうことを無くしたい思いで)チームを作った面もあります。
地域に根付いた実業団ではなく、もう少しフレキシブルに動けるカーリングチームを作ろうと思ったのです。単体で活動でき、チームが掲げた目標に対して突き進んでいける組織を目指しました。(実業団のように)与えられた資金の中で活動するのももちろん仕事です。ただ見たことのない世界を見るためには、外からはふざけたように見えたとしても、手が届かないような目標を掲げて、『どこまでみんなでできるか?』にトライすることが大切です。それが私たちのチームスタイルだと思います」
3月にスピードスケートの名門、日本電産サンキョーが突然廃部すると報道された。廃部するか否かは、選手本人のコントロールが及ばない領域だ。一方、ロコ・ソラーレのように法人化すれば、チームの運営はもちろん大変ではあるものの、残念ながらもしチームがなくなるとしても、それは自分たちの責任であり、納得感もあるかもしれない。
かゆいところに手が届く――。具体的にどんな環境や支援があればよかったのか。
「日本は4年に1回という強化スタイルでしたが、五輪でメダルを取っている海外のチームを見ると10年、20年のスパンで強化方針を出していました。日本は、助成金で運営費用を賄い、しかもそれは1年、2年で期限を区切っての見直しもあるので、長期で資金を確保しての強化は難しいのが実情です。私はそうではないやり方がないのかと感じていました。なぜなら、その状況下だと『(結果を求められる)戦うスポーツ』でしかなくなるからです。日本は(競争を伴う)スポーツにならないとスポーツ文化が根付かないとも感じていました」
本橋は「Innovation League Sports Business Build」のイベントの中でも、生涯スポーツであるにもかかわらず、結婚や出産を機に、辞める選手がいてもったいないと思っていたと発言している。
「私はセカンドキャリアではなく『ステップアップキャリア』と言っているのですが、戦えなくなったら切り捨てるのではなく、アスリートはアスリートなりに競技生活で人生をかけて得たものを武器として生かせる団体が必要だと思っていました。そんな組織を作りたかったのです。産休などで戦えなくなった選手をクラブとして雇用できるようにして、その人の特性に合わせた仕事を任せる、部署が増えるという感じでチームを作りました」
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