実は「紙」じゃなかった! 書き心地“半端ない”「投票用紙」の正体と開発秘話誕生から35年(2/4 ページ)

» 2022年07月10日 06時30分 公開
[樋口隆充ITmedia]

政府主導だった合成紙産業

 同社がなぜ投票用紙を手掛けることになったのか。それを語るには、同社の成立過程と、合成紙を手掛けるに至った時代背景に触れておく必要がある。

 時は60年代にまで遡る。68年、科学技術庁(現在の文部科学省)が消費増による森林資源枯渇への危機感と、石油化学の勃興を背景に「合成紙産業育成に関する勧告」 を発表。勧告には天然紙の代替として安価な石油資源から製造する「合成紙」の重要性が提言されており、10年後の78年には紙需要推定1600万トン(当時)のうち、合成紙が約350万トンに占めると予測されていた。

photo 紙の消費量増加で森林資源枯渇の懸念があった(提供:ゲッティイメージズ)

 このため、石油化学や紙パルプ、繊維など関連業界から20社以上が続々と参画。合成紙の製品化に向けた研究が業界内で一大ブームとなった。ユポ・コーポレーションの前身である、三菱油化(現三菱ケミカル)と王子製紙(現王子ホールディングス)もそうした企業の1つだった。

「夢の合成紙」誕生も、オイルショックで「冬の時代」に

 各社で合成紙研究が進む中、69年5月、石油化学系合成紙の企業化を目的に、2社が折半出資し、合弁会社の王子油化合成紙研究所(現ユポ・コーポレーション)を設立。その直後、日本の合成紙に関する特許第1号を取得した三菱油化の技術をベースにした合成紙「FPペーパー」が完成し、一躍注目を集めた。

 工場の建設など量産化に向けた準備を整え、71年にはブランド名を社員やその家族から募集。作家の小松左京氏や星新一氏ら選考委員の選考の結果、3000通の応募の中から、社員が考案した「ユポ」が採用された。ユポ(YUPO)には三菱油化(「YU」)と王子製紙(「O」)を、「Paper」(紙)で結びつけるという意味が込められているという。

 海外の製紙メーカーと提携し、米国輸出を進める最中、74年10月、第四次中東戦争による、第1次オイルショックが発生した。合成紙は原料に石油由来の化学原料を使うことから、原材料価格や生産コストが高騰。採算性悪化で競合各社が事業からの撤退を次々に表明した。

photo エジプト・シリア連合軍がイスラエルに攻撃したことで第四次中東戦争が勃発した(提供:ゲッティイメージズ)

 王子油化も大打撃を受け、一気に「冬の時代」を迎えた。「当時は新聞紙を合成紙で代替するという動きもあった」(鹿野部長)というが、そうした構想も夢物語となった。

「紙の代替」から機能性重視に方針転換

 とはいえ、残された社員とその家族のため、事業を継続しなければならない。当初は政府方針によって、紙の代替として研究開発が始まった合成紙だったが、オイルショックでコストが上昇。紙との競争力を失ったことから、同社はユポの機能性を生かした事業方針に転換する。

 プラスチックであることから水に強く、破れにくい特徴を持つユポ。その特徴を生かせる業界を探した。当時は技術的にユポへの印刷が難しかったため、専用インクも開発し、山など屋外で使う地図などに徐々に採用されるようになった。紙よりも繊維が長く、折れにくいという特性もあったため、屋外での利用に向いていたのだ。

photo 当初は屋外で使う地図などに利用されていた(提供:ゲッティイメージズ)

 だが、最初の10年ほどは赤字続きで、鹿野部長は「仕事がなく、暇だったので工場周辺の草むしりをしていたと聞いている」と当時の状況を明かす。

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