村上学長がグーグルに入社した時、日本法人の社員は10人程度で、東京・渋谷のセルリアンタワーにオフィスを借りていた。「ヘッドハンターを通じてグーグルに誘われたとき、AIをコアとする会社ですといわれて、自分の最後の就職先はここ、という思いで引き受けました」
最終面接は、グーグル本社のオフィスがある米国のマウンテンビュー市で実施されたという。「(創業者の)ラリー・ペイジ氏とセルゲイ・ブリン氏に『われわれが目指すのは、あなたがPCの前に座っただけで答えが出る状況や、何らかの応答をする前に、すでにあなたの知りたいことがバァーっと出てくる世界だ』と言われたことが印象的でした」
その頃、創業者の2人は30歳前後。村上学長は56歳で親子ほどの年齢差だった。だが「この若者たちと一緒に(最後の)ひと働きをしようと思った」という。
ちなみにグーグルの海外初オフィスは、2001年の東京で開いた。2004年には東京にR&Dセンターを構えたという。もともとラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンの専門がAIであることが、両者をつなげることになったのだ。
「あの2人はスタンフォード大学でAIの研究室にいて、最初の修士論文のために作った検索のソフトを、大学の皆さんに使ってもらったのが始まりですね」
村上学長はグーグル時代、日本市場でグーグルを広めるための戦略をどう考えていたのか。ヤフーは2001年4月から2004年5月まで、Yahoo! JAPANの検索サービスにおいてグーグルより検索エンジンの提供を受け、2010年7月から再び検索エンジンの提供に加え、検索連動型広告配信システムを採用することを発表している。
「その頃、検索の国内シェアトップはヤフーでした。その時点でグーグルの検索システムはNECのBIGLOBE、富士通の@niftyに採用されていました。そこで、当時ヤフーのトップだった井上雅博さん(故人)にお願いして、了承してもらいました」と話し、村上氏自らトップセールスをしたと明かす。
もう1つは、一種の口コミだ。社員がもし飲みに行った場合「どこまで広がるか分からないけど『会社ではグーグルを使って仕事をしている』といったうわさ話的な会話をしてほしいと伝えていました」と笑う。
これはグーグルとヤフーのUIの違いを利用したものだった。グーグルのトップページは、常に検索の言葉を入力する検索窓のみが表示される。一方、ヤフーは検索窓だけでなく、いろいろな情報にアクセスできるようになっていて、第三者にとっては、見方によっては「遊んでいる」ように見えるからだ。つまりグーグルは仕事をしている際の「オンタイム」で使用するというブランディングをしていた。
「(グーグルは検索のみを志向しているという意味で)その頃から思想的には何も変わっていません。検索はきちんとした言葉を入れれば、目的のところにたどり着きます。これは生成AIでも同じで、大事なのはプロンプトで、きちんとしたプロンプトを入力できるかどうかによって回答が変わってくるのです」
ChatGPTの登場以来、大きな問題となっているAIの開発と規制のバランスについては以下のように答える。
「私自身が総務省のAIネットワーク社会推進会議の委員もやっています。悩ましいところではありますが、手足を縛るようなことはあまりしたくないです。ガイドラインは作るけど、ペナルティは作らないと話していますね」
国の競争力の源泉は、突き詰めると教育にあると言っていい。日本のIT業界の歴史を知り、AIにも知見が深い村上氏が、専門職大学のトップに立ち、人材育成に尽力することは大きな意義がある。企業にとっても、アカデミアと専門知識を持ち、インターンの経験が豊富な即戦力を持つ学生を採用できることは魅力的なはずだ。
村上学長は「人生最後の貢献」と話していた。今後の取り組みが継続されることによって、日本で革新的な人材が生まれ、ユニークなサービスが生まれることを期待したい。
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