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» 2009年09月07日 08時30分 公開

小寺信良の現象試考:今だからこそ再確認したい、議論のしかた (3/3)

[小寺信良,ITmedia]
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議論と似て非なるもの

 議論とよく混同されるものに、ブレインストーミングがある。ミーティングの場で、「じゃあこれからブレストね」となることも少なくないが、ブレインストーミングには独自のルールがある。

 それはシンプルに集約してしまえば、相手の意見を絶対に否定しない、ということである。あまり上手くない意見であっても却下せず、それをさらによい方向に拡張するためのアイデアを追加してゆく。「いやそれはないでしょ」などと言っては、ブレインストーミングの場は崩壊する。

 なぜならばブレインストーミングの目的は、全員がネガティブな感情を捨てて一時的にポジティブな集団思考体系になることで、通常の議論では思い浮かばなかったナイスなアイデアをひねり出す、ある意味集団催眠のようなことなのである。

 議事の進行者は、その点をうまくコントロールする必要がある。発言が停滞したら、逆の視点での意見を投入したり、アイデアを合体させたり、分解したりする質問を投げて、活性化を促していく。議長自体も、アイデアマンである必要がある。

 またこれとは逆の意味で、議論になっていない議論の場も多数存在する。例えば議長が圧倒的な決定権を持っているような会議、例えば社長が招集するような会議は、自由闊達な意見が交換できるとは言えず、議論の場としては成立しない。むしろヒアリングに近い場であろう。

 このような会議の場合は、一時的に社長など立場の高い人間をその場から退場していただくと、議論が進む。これは学校でも同じで、先生が一時的に退場することで議論が進むことも多い。

 また最近よく思うのは、行政主催の委員会や審議会などの場は、議論の場とは言えないということである。だいたい参加人数も多すぎるし時間が限られているため、互いの意見を交換するヒマがなく、単に意見表明だけで終わってしまう。そして具体的な調整は、会の外側で、事務局との折衝によって行なわれる。委員会などの取材を始めてしばらくは馴染めなかったが、あれはもうああいうものなんだな、とわかるようになってきた。

 以上、筆者なりの日本的議論について日々思うところをつづってきたが、建設的な議論の一助となれれば、幸いである。

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