今まで何かきっかけがあると、そのメーカーの歴史的なカメラを振り返ったりしてた。カシオ計算機やオリンパス、ソニーも。そういえばキヤノンはやってなかったね、というタイミングで「EOS SYSTEM」が35周年を迎えたのである。2022年3月にキヤノンのEOS登場から35周年。
そういえばキヤノンのカメラってあまり縁がなかったな、と思ったのだけど、よく考えてみたら小学生の頃最初に触ったカメラがキヤノンだった。初代「キヤノネット」。父親が持っていたのだ。
それはそれとして、EOSにも縁がなかったな、と思ったのだけど、よく考えてみたら最初に買ったレンズ交換式一眼レフはEOSなのだった。
長く生きてるといろいろと触ってるもんですな。
というわけで、EOS SYSTEM35周年記念でキヤノンの一眼カメラの歴史を振り返る、である。
35年って意外に短いのだがそれには理由がある。EOS以前の一眼レフを含んでないからだ。
キヤノンが最初に一眼レフを発売したのが1959年の「キヤノンフレックス」。そこから数えれば60年超えなのだ。ニコンが「ニコンF」を発売したのも1959年であり、各社から一眼レフが登場した時代である(ちなみに日本最初の“35mmフィルムを使い、ペンタプリズムを採用した一眼レフ”はアサヒペンタックスで1957年だった)。
その後、マウントを変えつつ1971年にはFDマウントの「F-1」が誕生。さすがにその頃はリアルタイムでは知らないけど、1976年発売でヒットした「AE-1」やその後に登場した「A-1」は覚えてる。
A-1のモードセレクターのギミックや、ファインダー内表示の赤いデジタル表示に未来を感じたのだ。
で、newF-1やAE-1やA-1がヒットしてFDレンズのラインアップも揃い、レンズ資産が増えてるから、そのマウントを長く引っ張ろうと普通は思うじゃないですか。
でもキヤノンはそうは思わなかったのである。
世の中、オートフォーカス技術が実用的になり、一眼レフもオートフォーカスの時代だ、となったとき、MF時代のFDマウントを捨て、AF時代の新しいマウントに切り替え、カメラのシリーズ名も一気に変えちゃうという大胆なことをしたのだ。
それがEFマウントとEOS。1987年の「EOS 650」からスタートしたので、2022年が35周年なのである。このマウントときたら、マウント径が大きくレンズ設計の幅が広く、AFが高速で、その後ずっと使われることになった。思い切ったマウント変更が成功したのだ。
そして1989年にはフラッグシップ機の「EOS-1」が、1992年には世界初の視線入力AFを搭載した「EOS5」が、1993年にはファミリー層に大ヒットした初代「EOS Kiss」が登場。
ファミリー向きからプロ用モデルまで揃ったのである。
この頃、「スポーツのキヤノン、報道のニコン」と呼ばれていた。理由はいろいろと考えられるが、一般にキヤノンのAF性能の高さがスポーツに向いており、ニコンの長年の実績と堅牢性が報道の現場に向いていたってことなんじゃないかと思ってる。
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