ご存じの方も多いかと思うが、 Engadget日本版とTechCrunch Japanは、3月31日いっぱいで更新を終了した。4月末まで記事を読むこともできたが、それ以降は検索することも、読むこともできなくなっている。
背景にはどのようなことがあったのか、気になる方も多いと思う。
そこで、 Engadget日本版の編集長を務めた矢崎飛鳥氏に直接語ってもらうことにした。Engadget日本版というメディアがどんなメディアだったのか、そして、それがどのような経緯で日本での歴史を閉じることになったのかを、筆者との対談の形で語っていく。長年の友人同士の対談なので、多少言葉づかいが荒いところがある点は、ご容赦いただきたい。
本記事はもともと、筆者(西田)と小寺信良氏が共同運営するメールマガジン「小寺・西田のマンデーランチビュッフェ」および、そのnoteマガジン版「小寺・西田のコラムビュッフェ」に、4月4日の週から5月9日の週にかけて掲載されたものだ。
だがそちらは対話をほぼ全編収録した「全長版」なので非常に長い。そのため、ITmedia NEWSへの掲載向けに、3本の記事へと「コンパクト化」してお届けする。
初回は、矢崎氏がEngadget日本版編集長に赴任するまで、そして、そこで何をやったのか、という話を語っていく。
西田 今回は本当に急な話で……。
矢崎 そうね。もう……西田さんにはサイトクローズ発表の翌日ぐらい(2月中旬)に説明しましたよね。
今日は、それから1カ月ぐらい経った(注:収録は3月中旬に行われた)んだけれども、そんなに状況は変わってない(苦笑)。
西田 矢崎さんが、Engadgetの編集長を拝命したのって、いつでしたっけ。
矢崎 2017年の1月から。5年前。私はEngadgetの編集長に、前編集長の鷹木(創)さんにお声がけをいただいて就任した形で。
その前は……ファミ通を入れて21年。
学生から3年間、「ファミ通PS」という、プレイステーションの専門誌だったんだけれども、そこでアルバイトをしてて。
ゲームは今でも大好きなんだけども、パソコンが面白くなってきちゃったじゃないですか。
西田 1990年代の後半って、やっぱりパソコンが日本に本当に普及し始めるときだったから、日本メーカーも元気があって面白かったですよね。
矢崎 でも、最初、パソコンが大好きで週アスに入っても、もう自分のパソコンが好きなんてレベルは敵わないのね、アスキーに入ると。
居場所がなかったの。入りたての頃。
西田 そうなんだ。
矢崎 そう。意外と、自分が何をやるのか――パソコンが好きでここに来たけど、意外とね、活躍の場がなくて。
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