今回は比較的単純なプロンプトで、これまであまり利用例がなかった中国製生成AIをテストしてみたが、レベル的には米国のサービスと変わりないように見える。特にKling O1は完成度が高く、参照画像への忠実度が高いのが特徴的だ。こうした特徴は、さまざまなカットを生成させて編集して作品を形成する長尺映像作品への適用が期待できる。
とはいえ、本当に自分が望むようなシーンが生成されるのかは、いったん生成させてみてトライアンドエラーを繰り返して調整していくしかないことから、生成にかかるクレジット料金次第となる。この点はGPU調達に強い米国と、電力コストに強い中国で、違いが拡大するポイントかもしれない。
あるいはコストを抑えるために、まずは静止画で細部まで追い込んだのち、始点と終点の静止画を制作し、それを参照画像としてカットを動画生成していくといった最適化が必要になるだろう。
一方で、簡単なプロンプトで多くのイメージが生成できることから、AIだけで完成を目指すのではなく、絵コンテとして利用するという方法も考えられる。AIで生成したものを、実写で撮影するのである。
ただ、現時点ではこの方法はそれほど受け入れられていない。イメージが具体的すぎて、その印象に引っ張られてしまい、現実が追い付かないために余計なコストがかかるといったマイナス面が目立つ。現場では、絵コンテなどはむしろ「棒人間」の方がイメージが湧くといった指摘もあるぐらいである。
生成AIの弱点は、良くも悪くも「作ったような絵」という印象が拭えないところだ。ただ昨今は映画であっても、グリーンバックでCG合成をやりすぎている傾向があり、すでに本物のように見えないという指摘も起こり始めているところだ。
映像表現は、非常に幅広い。ドキュメンタリーのようにリアリティーを強調した表現もある一方で、「アバター」のようにモーションキャプチャーとCGの作り込みありきといった表現もある。また演劇のように、最小限のセットや何もない空間において、人間の芝居のみによって見る者が勝手にシーンのイメージを膨らませるような表現も成立し得る。
そこに生成AIの表現がどのように入り込めるのか。限りなくリアリティーを追求することも可能だろうが、それは莫大なコストをかけてAIの表現を追求したことになるのかという疑問もある。むしろ勝手に身体が前後に入れ替わったりするようなAI特有のエラーは、表現としてこれまで人類が思い付かなかったし、作られたこともなかった。こうした表現を意図的に取り込んだ映像作品というのもまた、成立し得るだろう。
AIに対しては、極力誤りを排除し、正解を求めたがる人も多い。だが表現については、正解である必要がない。いわゆる調べものや文献調査で利用されるAIでは不要だった、「想定外の結果」が求められる。
映像コンテンツの全てをAIで作ろうとすれば、整合性やら何やらと、莫大な調整が必要になる。一方でAIが作ったエラー映像を生かすストーリーが作れるのは、人間の特性である。バジェットや時間制限がある商業作品の現実的な縛りからすれば、フルAI制作よりも、所々にAIを取り入れつつ人間の手と頭を使った方が、今のところはより合理的な選択といえるだろう。
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