クラウドを中心にしたデジタルハブ――ポストPC時代の幕開け:WWDC 2011基調講演リポート(3/3 ページ)
WWDC 2011で行われた基調講演の模様を林信行氏がリポート。「Mac OS X Lion」「iOS 5」そして「iCloud」。この3つのトピックから浮かび上がる次世代のデジタルハブ構想について考える。
デジタルハブの第2章
さて、今回のアップルの発表を、さらに俯瞰(ふかん)して眺めてみよう。実は、今回の発表は、同社が10年前に発表したデジタルハブ構想の第2章となっている。
10年前の2001年1月、スティーブ・ジョブズ氏は、Macworld Expo/SAN FRANCISCOの壇上で「デジタルライフスタイル」時代の到来を宣言した。
PCがさまざまなデジタル機器の中枢(デジタルハブ)になっていく、という考えで、例えばデジタルカメラで撮影した写真やビデオをPCに取り込んで編集し、DVDや音楽プレーヤーで利用できるようにする、といった世界を描いていた。
最初は他社のデジタルカメラや音楽プレーヤーとの連携に力を入れていたが、なかなか他社製品にいいものがないことを悟り、アップルは同年中にiPodを発表する。iPodは、まさにデジタルハブを体現したデバイスで、PCにつながないと使うことができない仕様だが、その代わりPCとケーブル接続で同期するというやり方で、圧倒的な使いやすさを実現した。これが世界中の人々に支持され、大ヒットとなった。
やがてアップルは、このiPodの魅力をさらに発展させた携帯電話、iPhoneで人々の暮らしのさらに奥深い部分に切り込みをかけ、これまでになかったカテゴリの製品であるiPadさえ、新しいデジタルライフスタイルの道具としてわずか1年余で定着させてしまった。
今日の発表で、ジョブズCEOはこの10年前の発表を振り返り、デジタルハブが新しい形に変わりつつあることを紹介した。
10年前に描かれたデジタルライフスタイルの構図では、中枢となるハブはPC、つまりMacだったが、今日この中枢になるのは、Macでも、ポストPC機器と呼ばれるiPhone/iPadでもなく、それらを自然に結びつけるクラウドサービス、つまり新発表のiCloudだというのだ。
確かにこの10年で世の中のコンテクストは大きく変化した。10年前のデジタルガジェットといえば、デジタル音楽プレーヤーやデジタルカメラが花形で、いずれもネット接続機能を持たない単機能の専用機であり、PCに接続をしないとほとんど何もできなかった。
しかし、今ではiPhoneやiPod touch、iPadといった、標準でネットワーク接続機能を持った汎用のiOS機器が世界で2億台使われており、これがカメラとしても音楽プレーヤーとしても愛用されている(写真共有サービスのFlickrで最も使われている“カメラ”は、まもなくiPhoneになるだろう)。
アップルのデジタルライフスタイル構想が第2章に入り、その中枢がクラウドサービスのiCloudになったことで、ケーブル接続も面倒な操作も一切なしですべてがつながり、同じユーザーが使う機器は自動的に同期される――そんな世界が生まれようとしている。
アップルが提供するアプリケーションだけでなく、OS X LionやiOS 5の新機能で生み出される新しいアプリケーションについても同じだ。iCloudが生み出すすべてが同期した世界で、PCであるMacとiOS機器はどのようにすみ分けて行くのだろうか。実はこのヒントも写真の例に見て取ることができそうだ。
iPhoneで写真を撮ると、その写真が自動的にiCloudにバックアップされるが、(アップルに対して)維持費がかかるiCloud上の写真は、30日経つと消えてしまう。バックアップされた写真はiCloudの「Photo Stream」という機能で、同じオーナーのMacやiOS機器に自動的に取り込まれる。
iOS機器に保存する場合は期間の制限はないが、フラッシュメモリの容量に制限があるため、どんどん写真を蓄積するというわけにはいかず、iCloud経由で送られてくる写真は1000枚までで、それを超えると古いものから消えて行く仕組みになっている(枚数の上限を固定することで、空き容量の予測をしやすくする、という魂胆なのだろう)。消さずにとっておきたい写真は、アルバムを作成し、そこにコピーしておく必要がある。
これに対して、PCは「Photo Stream」で受信した写真を、アルバムに登録しなくても、すべて蓄積し続けるようだ。つまり、家に1台PCがあり、これを常にインターネットに接続しておけば、30日経ってiCloud上の写真が消えてしまっても、そのバックアップがPC上には残ることになる。
10年前のデジタルライフスタイル戦略を発表した時に、PCがハブとしてふさわしい理由として、携帯型のデジタルガジェットと異なり、大画面を利用して情報が見渡しやすかったり、大容量HDDを使ってより多くのデータを蓄積できることが挙げられていたが、クラウド中心のデジタルハブ時代になっても、そこの部分でのPCの役割には代わりがないようだ。
当たり前のことほど実現が難しい
この後の記事で紹介する「Mac OS X Lion」、「iOS 5」そして「iCloud」の30の機能は、その1つ1つが、アップルがこれからの新しい時代に求められている機能をどれだけ丁寧に考え、設計しているかを感じさせるものになっている。
それを紹介するために、まずは全体を俯瞰(ふかん)して、今回の発表でアップルが目指したものを筆者なりの見解でまとめさせてもらった。
IT業界に詳しい人ならば、アップルが目玉にしているクラウド戦略は、これまで散々いわれてきたものだと指摘する人がいるかもしれない。「そんなのものすごく当たり前のサービスだよ」という人もいるだろう。
その通りだ。当たり前のことを直球勝負で正面から実現するからこそ、初心者にも仕組みや構造が分かりやすく、素直に受け入れやすいものになる。しかし、この当たり前のものを技術に明るくない人まできちんと使えるレベルにかみ砕いて提供しようとすると、非常に難しく、手間がかかるものだ。
アップルは、製品の工業デザインにしても、OS機能や、そもそもの製品コンセプトにしても、究極にシンプルな自然体を模索し、それを形にする企業だが、このシンプルであることの実現こそが非常に難しい。
その、もっとも分かりやすい例が、今回、講演の最後にサプライズとして発表された「iTunes in Cloud」と「iTunes Match」という2つのサービスだろう。
Tunes in Cloudは、すでに購入済みの曲は、ほかの機器で買い直すことなく、無料でダウンロードできるようにする、というサービスで、当面は米国のみで提供される予定だ。
iCloudの登場によって、iOS機器をいちいちPCとケーブルでつないで同期する必要が薄れた今、ある意味、当然といえば当然のサービスと考えられる。そもそも、すでにApp Storeでは、購入済みアプリケーションのダウンロードは無料でできて当たり前だったのだから、音楽だってそうなって当然だと考える人は多いかもしれない。しかし、このサービスを実現するにあたっては、おそらくアップルは音楽レーベル1件1件を訪問して交渉してきたはずだ。
iTunes Matchでは、音楽CDからリッピングして取り込んだ曲についても、年間24.99ドルを支払えば、iTunesが曲を自動認識し、iTunes Storeにある同じ曲をダウンロードできるようになる。この点も、ユーザーはCDという板を買いたくてお金を払ったのではなく、そのアーティストのその曲が聞きたくてお金を払った、と考えると、ある意味当然のサービスなのだが、やはり、その裏には音楽レーベルとの大変な交渉があったことは想像するにたやすい。
当たり前に思えることほど、実現が難しい。そして、実現するのが難しい“当たり前のこと”ほど、いざ実現してしまうと非常に魅力的なサービスになる。
今回アップルは、まさに直球のシンプルで王道の解決策を提示するために、ノースキャロライナに巨大なデータセンターを作り、音楽レーベルと交渉を重ねるなど技術開発以外でも地道で時間がかかる努力をしてきたことになる。このおかげで、ハードウェアの製造も、OSの開発も、その上で動くサービスの提供も、バラバラに動いている競合他社とはさらに大きな差をつけることになるではないだろうか。
クラウドを中心としたポストPC時代の新デジタルライフスタイル構想が、今後10年、どんなハードウェアやOSの進化、そして新しいアプリケーションや新しいサービスを生み出していくのかを想像すると楽しみでならない。
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