将棋棋士の「スマホ不正」疑惑と「出場停止処分」について思うこと

» 2016年10月13日 21時10分 公開
[杉本吏ITmedia]

 「棋士と将棋ソフトの共存」を掲げる将棋界が揺れている。

 日本将棋連盟は10月12日、15日に開幕する第29期竜王戦七番勝負の挑戦者に決まっていた三浦弘行九段を、2016年内の公式戦出場停止処分にしたと発表した。七番勝負には挑戦者決定戦で三浦九段に敗れた丸山忠久九段が繰り上がりで出場する。

 三浦九段には対局中にスマートフォンを使って将棋ソフトを不正利用していた疑いが持たれているが、本人は「やましいことは何もしていない」としてこれを否定し、今後の対応は「弁護士と相談する」としている。

 なぜこうした事態が起こってしまったのか、将棋連盟による処分は妥当なものなのか、この一件は将棋界の内外にどのような影響を与えるのか。現時点で判明している情報をもとにまとめた。

第29期竜王戦七番勝負挑戦者の変更について(日本将棋連盟)

事の経緯は

 10月12日19時過ぎ、将棋連盟の公式Webサイトに「第29期竜王戦七番勝負挑戦者の変更について」と題した文章が公開された。タイトル戦の対局者が変更になることは極めて異例で、文中に具体的な処分理由が記されていなかったこともあり、業界関係者や将棋ファンを中心に大きな波紋が広がった。

 当日中に将棋連盟は記者会見を行い、2016年夏ごろから三浦九段が対局の終盤に不自然に見える離席を繰り返し、将棋ソフトを用いた不正行為を行っているという疑いを複数の棋士(後に「5人前後」とされた)から指摘されていたことを明かした。

 11日の常務会で説明を求められた三浦九段は「離席時は別室で身体を休めていた」と不正行為を否定したが、「疑いを持たれたまま対局はできない」として、今後の対局を休場する意向を示したとされる。将棋連盟は翌12日の15時までに休場届を提出するよう三浦九段に求めたが、期限までに提出がなかったため、開幕を控えた竜王戦を前に処分に踏み切った。

急伸する将棋ソフト

 以上が事の経緯だが、冒頭で挙げた本題について考える前に、まずは三浦九段の経歴と近年の将棋ソフトの発展について、それぞれ簡単に補足を加えておく。

 三浦弘行九段は1974年生まれの42歳。1996年に当時の羽生善治七冠から棋聖のタイトルを奪取し、一躍名をはせる。プロ入り25年目となる現在も、名人に続く棋士の頂点である順位戦A級・竜王戦1組に在籍するトップ棋士だ。

 その三浦九段が近年最も注目された舞台が、2013年に行われた第2回将棋電王戦。人間と将棋ソフトが戦う電王戦で、人間側の大将として登場した三浦九段は、当時の最強ソフトである「GPS将棋」に敗れた。

 その後も将棋ソフトは進化を続け、近年はプロ棋士相手に大きく勝ち越す成績を残している。過去にトップレベルの実力を誇ったソフトが、半年後の大会では「予選落ち」してしまうほどの速度だ。現在の最強ソフトである「Ponanza」は、既に底知れない実力を備えていた1年前のバージョンに比べて「9割勝ち越す」ほどの急速な伸びを見せている。トップクラスのソフトは「スマホ上で動かしても人間のトップに匹敵する、あるいは上回る棋力を持つに至った」とする見方もある。

トップソフト同士の戦いは、既に異次元ともいえるレベルに突入している

盤上ゲームと不正行為

 こうした事態を受け、将棋ソフトによる不正を防止する目的で、将棋連盟はスマホを含む電子機器の持ち込みや対局中の外出を禁止とする規定を設け、12月14日から施行することを発表した。告知されたのは10月5日、今回の騒動が起こるほんの1週間前のことだった。

 実は、こうした盤上ゲームにおける「ソフトを用いた不正行為(不正疑惑)」は、20年前にソフトが人間の実力を上回ったとされるチェス界においてはたびたび報告されている。

 一例として、2015年4月に発覚したドバイの大会における事件がある。チェス界最高の称号である「グランドマスター(GM)」を持つジョージア(グルジア)人プレイヤー、ガイオズ・ニガリジェ氏が、対局中重要な局面になるたびにトイレに駆け込み、不審に思った対戦相手が指摘した結果、トイレットペーパーの中に隠された本人のスマホが見つかったというものだ。ニガリジェ氏の指し手はスマホ上で動いていたチェスアプリとほぼ一致しており、3年間〜15年間の出場停止という処分をもって大会を追放されている。

 以上、ここまでが公式に発表されている事実をもとにした、現時点までの経緯と補足情報だ。そしてここから先は、筆者自身の考えや憶測を含む内容となる。

処分に関する疑問点

 今回の将棋連盟による三浦九段への処分は、将棋ファンや業界関係者にはどのように受け止められているのだろうか。

 問題が公表された当初、棋士や観戦記者など多くの関係者から上がった意見は「疑いの根拠があまりにも薄弱だ」というものだった。会見で説明された「対局終盤での離席回数が多い」という内容は、疑惑の根拠とするには曖昧なもので、これをもって不正を証明するには確かさに欠けると見られていた。

 続いて、「ソフトとの指し手一致率」を根拠にしているのでは? という意見が広まった。一般に、将棋ゲームアプリなどでは「ソフト指し」(ソフトを参考にした不正行為)を禁止するために、ユーザーとソフトとの指し手一致率をチェックし、統計的に見て一致率が不当に高すぎる場合には不正行為をしていると見なしてアカウントを停止するなどの措置が取られている。

 ただし、これは将棋連盟が公式に発表している内容ではないため、現時点では単なる憶測と言わざるを得ない。さらに言えば、事実として三浦九段とソフトとの指し手一致率が他の棋士と比べて高かったとしても、それが不正を行っている根拠となり得るのかには疑問が残る。

 ソフトを用いた対局前の事前研究は、ソフトとの指し手一致率を高める一因となるが、これはルールなどでは何ら禁じられていない一般的な研究手法であり、今や多くの棋士がソフト研究を行っていることを公言している。また終盤で最善手を追い求めれば必然的に指し手一致率は高くなる傾向にある。反対に、たとえ指し手一致率が低かったとしても、要所のみでソフト指しを行うなどの不正をしていたとすれば、これをもって不正を見破ることは難しい。要するに、指し手一致率を決定的な証拠と見ることはできない。

 中には、将棋連盟が「より確実な証拠」を握っているのでは? とする意見もあるが、それが公式に発表されていない以上、現時点では「不正を行っていたとされる根拠は曖昧である」としか言えない。そのためか、将棋連盟も本件の処分理由は「本人から対局を欠場する発言があったにも関わらず、欠場届が提出されなかったこと」としている。

処分の重さと影響は

 「年内(残り3カ月弱)の公式戦出場停止」という処分の重さについてはどうだろうか。

 これは多くの人に指摘されていることだが、「“黒”にしては軽すぎる、“白”にしては重すぎる」という意見に筆者も同意する。もし実際に不正があり、それを示す確たる根拠が存在するのであれば、将棋連盟からの除名までを含めた処分が相当だと考える。

 一方で、そうした根拠がなく、「そもそも他者から疑いを持たれたこと」「聴取の場で納得のいく説明がされなかったこと」「欠場届が提出されなかったこと」などを処分理由とするのであれば、年内の全棋戦出場停止という処分には疑問が残る。出場停止期間中には、A級順位戦をはじめとする多くの重要な対局が含まれており、順位戦であれば「事実上の降級」(成績下位者として次期から下のクラスに落ちる)を意味する。

 さらに、問題はこうした直接的な損失だけにとどまらない。実際に不正があったか否かに関わらず、ここまで報道内容が拡散した現在、「一度そう見られてしまったこと」の持つネガティブな意味合いは計り知れない。それこそ三浦九段の今後の棋士人生を終えかねないほどの事態だ。

 これは将棋界全体で見ても同じことだ。近年は多くの対局が対局室からリアルタイムでネット中継されているが、今後は棋士が離席をするたびに悪意のあるコメントが書き込まれるような、そんな悲惨な未来までが危惧されるほどの問題だ。今回の一件は、それほどの可能性をはらんだ発表だったのだ。

正確な信頼できる情報を

 将棋連盟は10月13日、今後新たに三浦九段への追加調査を行わないことを発表した。処分は既に下っており、これ以上連盟側として連絡することはないとのことだ。

 竜王戦という名人戦に並ぶ最高棋戦を前に、事を大きくしたくないという連盟の姿勢は確かに理解できる。しかし、現在の発表内容で本当に納得しているファンがどれだけいるだろうか。

 本件は業界関係者にとっても寝耳に水だったらしく、Twitterやブログで情報発信をしている多くの棋士や専門誌記者などは、その衝撃の大きさには触れつつも、「正確な情報が得られるまでは、現時点での曖昧な情報をもとに発言をすることはしない」として直接的な言及を避けている。

 現在、Web上には正否の不明なさまざまな情報が渦巻いているが、今あらためて、本件に関するさらに正確な、信頼できる公式の情報を求めたい。まずは事実を明らかにした上で、本件の収束に関して慎重に模索すること。そして今後さらなるルールを整備し、二度とこのようなケースが起こらない、また起こり得ないように策を徹底すること。それこそが、昨日から不安な気持ちで自分たちの見てきた将棋界をながめているファンに対しての、真に誠実な答えだと思うのだ。

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