単純な計算能力だけでいえば、現在のApple独自プロセッサのシングルスレッド(単一コアで実行する場合の性能)は、Intel製プロセッサと同等以上になっているが、Apple独自プロセッサに移行する理由はシングルスレッドの性能向上ではない。
近年のパソコンが、同じプロセッサを搭載していても、設計によってパフォーマンスに大きな差が出る場合があるように、現代のプロセッサは消費電力と熱に支配されている。
消費電力あたりの性能を高めるには、コンピュータの使い方、OSの機能や提供するAPIなどに合わせて、より効率よく処理する機能をプロセッサ側に用意する必要がある。SoC(System on a Chip)にはCPUだけではなく、多くの種類の処理回路が統合され、それぞれを効率よく管理する仕組みが必要になってくる。
最も端的な例は、Apple独自プロセッサを搭載する近年のiPhoneおよびiPadだ。これらはSoCに内蔵する新しい処理回路とOS(が持つAPI)がセットで提供され、さらには最終製品のハードウェアの機能ともすり合わせながら開発されてきた。
例えば、iPhone 11のカメラ機能は、Apple独自プロセッサの「A13 Bionic」が搭載するCPU、ニューラルネットワーク処理が得意なNeural Engine、画像処理用のImage Signal Processorが同一メモリを共有し、相互に連携しながら最終的な画像を出力する。
CPUが担当する処理にしても、瞬発力が必要とされない電力効率重視の処理から、瞬発力や絶対性能が不可欠な処理を使い分けることができる。近年、GPUの役割が高まっていることを考えれば、採用するシステムに合わせてプロセッサを設計することが理想的といえる。
絶対性能を追求する時代から消費電力あたりの性能を高める時代になって久しいが、さらに単純な性能ではなく「システム全体がもたらす体験レベル」を、同じ消費電力でどこまで高められるかの勝負になってきたと、読み替えてもいいのではないか。
加えてAppleにとっても自社製品のコミュニティーを拡大する大きなチャンスともなり得る。
Appleは「自社で開発するアプリは、どれも自社製プロセッサ向けに移植済みだ」と話したが、その中でNeural Engineなどの特徴的な機能が使われているとも話している。例えば動画編集ソフトの「Final Cut Pro」は、Neural Engineを用いたシーン認識や独自アーキテクチャのGPUなどを活用した高い動画編集能力などを訴求していた。
パソコンというカテゴリーの製品にとって、搭載するプロセッサのアーキテクチャを変更することは、極めて大きなリスクを伴う。過去に2回、Macがその危機を乗り越えてきたのは驚くべきことだが、今回に関しては一大事業ではあるものの、スムーズに進むのではないかと基調講演を通して感じた。
理由は幾つかある。一つはAppleが数年をかけて、この移行をスムーズに完遂するための準備をしてきたと考えられることだ。2019年のWWDCでは、macOS上でiOS向けに開発されたアプリを動作させる「Catalyst」が発表され、まずはApple独自アプリの移植が行われていた。そしてその機能は開発者にも公開。さまざまなフィードバックを受けながら、改良が加えられてきている。
その上で、2020年秋にリリース予定の次期macOS Big Surではユーザーインタフェースを一新し、iOS、iPad OSとの親和性がさらに高まる。少しずつ変更され、iOSとの違いが埋め立てられてきたウィジェットや通知など機能の調整も、振り返ってみれば「今年のためだったのでは」と思い当たる。
Apple Silicon上で動作するmacOSでは、iPhone用、iPad用のアプリがネイティブで動作すると発表されたが、これは単純にプロセッサのアーキテクチャが統一されただけではなく、ユーザーインタフェースやAPIなどの互換性を、数年をかけて開発者と連携しながら高め、すり合わせてきた結果だ。
基調講演では「Microsoft Office」がほぼ完璧に動作する様子が見せられ、「Adobe Creative Cloud」もApple Silicon向けに開発されていること、移植作業は「ほんの数日で完了する」ことなどもアナウンスされている。
もちろん、たった一言の「簡単だよ」の後ろ側には動作確認テストなどさまざまな負荷が考えられるが、ここまで周到に準備されてきた背景には、まだ発表されていない「秘伝のタレ」があるように感じられる。つまり言及されていない行間に、プロセッサ切り替えに対する準備があると思うのだ。
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