前野教授は、そうした機械の意識も人間の意識と機能は変わりないのだから尊重されるべきだと述べているが、将来、肉体から解放された人間が、機械の意識と出会ったらどのように感じるのだろうか。むしろより機械にシンパシーを感じることも、充分にあり得ると思う。
人間が肉体から解放されて、昔のSFで描かれたように食や生殖からさえも解放されて、コミュニケーションが突出する。そして機械の人格と出会う。そうした世の中を想像するのはニヒルなことなのだろうか。筆者にはむしろ選択の幅がひろがって、多様な世界が訪れるのならば、それは豊かなことだと感じられるのだが。
しかし機械が、自分自身でアイデンティティを持つようになると、機械それ自身での自己進化が始まるかもしれない。膨大な試行錯誤と時間の積み重ねであった生命の進化に比べて、機械の自己進化はすさまじい速度で進行し、あっという間にこの世界の主役の座を人間から奪い去ってしまうかもしれない。この本の冒頭で紹介したハンス・モラベックの未来イメージで、充分に合理的な話である。
だが、筆者はその時期には人間の意識の形も変わり、機械と肉体を区別することに意味はなくなっているのではないかと思う。
人間を定量化する試み。人間のふるまいを数値として把握し、人の情動すらも方程式で記述する。こうした挑戦は、生命から神秘の衣をはぎとり、魂の実在を否定するようなニヒルな営為に見えるかもしれない。
しかしもし、人の秘密を解き明かし、定量化して把握することが実現すると、そこには人間にとって有益な技術が生まれていくはずである。
たとえば高西教授は、噛むという機能のモデルを獲得した結果、痛みなく手術を行うことができる医療器械を開発している。人の秘密が明らかになるにつれて、そこに新たな可能性が広がっていくに違いない。だから人間を機械で解き明かそうとする試みは、けっしてニヒルな試みではない。
それとも違うのだろうか。人間を数値で定量化する営みの果てには、記号で語りつくせないなにかが残されるのだろうか。しかしもし、人間を機械で再現しようとする道のりの果てに、なにか機械では到達できない神秘に行き当たったとしても、ロボット工学者たちは充分に受け入れる心構えがあるように、筆者は感じた。
やはりこれは人型というものの不思議さであろう。機械が人の形をとっただけで、探求の目的は自分たち自身に、人間そのものに関わってくる。この本に出てきた人々は、工学の中でもそうした分野を自ら選んだ人たちなのだから。
もし彼らや、彼らの後輩たちによって人の秘密がすべて解き明かされたとしたら。その時には、機械の秘密も解き明かされていることだろう。
そしてその後は、人と機械の秘密に区別の意味がなくなる、人とロボットの時代がやってくるに違いない。
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→次回「あとがき からくり技術に見る、日本人の独創性」へ
ノンフィクションライター、編集者。1969年、大阪府大阪市生まれ。大阪桃山学院高校を中退後、上智大学文学部ドイツ文学科入学。在学中よりフリーとして働き始める。
著書に日本のオタク文化に取材し、その深い掘り下げで注目を集めた「萌え萌えジャパン」(講談社)などがある。近刊は「自分でやってみた男」(同)。自分の好きな作品を自ら“やってみる”というネタ風の本書で“体験型”エンターテインメント紹介という独特の領域に踏み込む。
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